「シスター・プリンセス」の特異性について

その他の多ヒロイン物と比べて、「シスター・プリンセス」には妙な切なさが、ある気がした。なんだろう、と考えてみると、妹達も兄も、家族という枠組みから外れた、孤独な子供達であることに気付く。

「12人の妹」という奇抜な設定のために、この「13人の子供」達は、正常に父母を持つことができない。また、企画の成立事情から、この子供達は一緒に暮らすことはできない。

しかし、彼女らは、それぞれ家を与えられているために、全く孤児というわけでもない。孤児院のような場所で、似た者同士が肩を寄せ合い、疑似家族の中で幼少期を過ごす、というようなことも許されない。

彼女らは、兄や他の姉妹の存在を知らされながらも、会うことは許されず、父母のない一人っ子として、ずっと孤独に生きてきた。

以前、シスプリの印象として、「身無し子の集まりみたい」というようなことを書いたと思う。それは正しかった。ずっと孤独に生きてきた子供達は、ようやくお互いに会って話すことができるようになった。

だから、「シスター・プリンセス」の中で、妹達と兄が交わし得る情愛は、単なる兄妹や男女という枠組みに収まらない切実さを帯びるのだ。そして消費者は、その「13人の子供」の一人である兄として、作品世界に参入することになる。

「シスター・プリンセス」という作品は、妹物である前に、孤児物としてあるのではないか。孤児達の魂の交流と救済。それが、その他の多ヒロイン物にはない、この作品が持つ、見えにくい特異性であるように思える。