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菅野カラン作、漫画「かけ足が波に乗りたるかもしれぬ」を読む

夏休みの間に俳句を40句作ってくる、という宿題が、学校で出される。横着しようとして、主人公は友人と共に、俳句の手動生成器を手製するが、そこから出力される句の出鱈目さに、やはり普通に作るほうがいいのではないか、と考え直す。

普通に作るには旅行がいいらしい、と友人は兄の言葉を引いて提案する。主人公は、それなら母のところへ家出しよう、と話す。主人公の家庭事情を知っているらしい友人は、「いいじゃん」と返す。止めるつもりは毛頭ない。

家で、本を読みながら衣類を畳む主人公の頭を、祖母が叩く。服を畳む時は服を、皿を洗う時は皿を見なければダメ、と祖母は言い、既に畳まれた衣類の山を足蹴にして崩し、主人公に畳み直しを命じる。

それだけではなく、祖母は主人公が読んでいた本を外へ投げ捨ててしまう。それは図書館から借りた本だ、と主人公は抗議する。そこへ父が帰宅する。

主人公が、図書館から借りた本を祖母が投げ捨ててしまったことを父に伝えると、父は「またか」と返す。同じようなことは過去に何度も繰り返されているらしい。

更に主人公は、畳んだ衣類の山を祖母が足蹴にして崩したことも伝えようとするが、父は、祖母の言うことを聞かないとダメだよ、とだけ言って、部屋に入って扉を閉めてしまう。

家事に潔癖で、主人公が借りてきた、主人公の関心ある言葉の詰まった容器を不機嫌に投げ捨てる祖母と、その祖母の横暴を容認し、娘の言葉を無関心に聞き捨てる父のいる家庭に、主人公は住んでいる。

後日、主人公は家出をし、電車に乗って遠い母の許まで向かう。主人公の家出を旅行と考え、俳句の宿題を片付けるために、友人もそれに同行する。

しかし、俳句は一向に浮かんでこない。そこで主人公は、念のために持ってきていた、俳句の手動生成器を取り出して、友人と共に俳句をあれこれ出力していく。

ふと友人は主人公に、目的地はどこなのか、訊ねる。主人公が表示して見せた、目的地までの所要時間と運賃の額に、友人は今更難色を示す。

俳句の宿題のために付いてきているだけなのだから、文句があるなら引き返せ、と主人公は友人に言う。そして、わたしはもう帰るつもりはない、と家出の固い意思も示す。そんな二人の目に、車窓の外の富士山が映る。

主人公は感動の気持ちを口にする。その気持ちで俳句を作れるかも知れない、と二人は期待するが、やはり何も浮かばない。友人は黙って、主人公に俳句生成器を差し出す。

主人公は初めの節だけを富士山から作り、残りを生成器に頼って何とか俳句を作る。

そこへ大きめの虫が飛んできて、友人は慌てふためく。その光景から、主人公は再び初めの節だけを作り、残りを生成器に任せて俳句を作る。

それから二人は、車窓から見える様々な風景と、生成器とで次々に俳句を作っていく。そして段々とコツを掴み、自力で作った初めの節と、生成器が出力した真ん中の節から、終わりの節を自力で導き出すことができるようになる。

やがて二人は、真ん中の節も自力で導き出すことができるようになる。そこで電車は目的の駅に到着する。

二人が向かう先には、山と森が立ちはだかる。友人は、本当にこの先で合っているのか、と主人公に訊く。主人公は、郵便の住所に書いてあった通りだから、合っているはずだ、と答える。

主人公は一度も実際の道の風景を見たことはなく、郵便に記された情報ないし言葉だけを頼りに、母の許へ向かおうとしていたのだ。

二人は陽の光が届かないような、暗くて長いトンネルの中に入る。明るい風景もなく、不気味な音の響く道程に、二人は怯える。そこで主人公は、懐中電灯で俳句生成器を照らして、俳句を作りながら進むことにする。

俳句生成器が二人に愉快な情景をいくつも思い浮かばせ、暗くて不安な二人の道先を、明るく照らし出す。そうして二人は長いトンネルを抜けるが、すっかり日は落ち、夜になっていた。

疲れて空腹になり、更に携帯電話の電池が切れ、地図を見ることもできなくなる。そんな中でも、二人は生成器で俳句を作り続け、俳句の言葉を子守唄のようにして眠りに付く。

翌朝、目覚めた二人は、すぐ近くにカフェがあるのを見付ける。主人公はそこに、地層についての話を熱く語り過ぎて山歩き中の人を客として逃す、母の姿を見付ける。

主人公は母に駆け寄って、子供らしく抱き付く。主人公の安堵の大きさと、今までの不安の大きさとが感じられる。

ようやくありついた食事を頬張る主人公に母は、桜子(主人公)が家出をした、と父から聞いて、てっきり友人の家にいるのかと思っていた、と話す。主人公はそれを聞いて、父と母が今でも連絡を取っていることを知って、驚く。

父のことを普段の態度から、言葉を聞き捨てる人だ、と主人公は理解していた。だから母とも、もう言葉など交わしていないだろう、と主人公は思っていた。

母は、父とは今でもビデオゲームを通じて会っている、と話す。この森の向こうが父の家だ、と母はゲーム画面を指す。

父は近過ぎる相手とは、上手く言葉をやり取りすることができない人なのかも知れない。ゲームを介してなら、誰かとちゃんと言葉をやり取りできるのだろう。恐らくは主人公とも。

そして、介するのはゲームでなくてもいいのではないだろうか。それは例えば、俳句とかだ。

母は、でも桜子は本物の森を抜けて会いに来たのだ、と言って感心する。そして、怖くなかったか、どうやって抜けてきたのか、と訊ねる。主人公と友人は、顔を見合わせ笑う。

主人公達は母の運転する車で、母の自宅へ向かう。その途中で、主人公は家出の経緯と共に、祖母との出来事も話したのだろう。母は、自分も義母(主人公の祖母)とは上手くいかなかった、と話す。

そして、義母は目の前で本を読む主人公が遠くに行ってしまったように感じられて寂しいのだろう、と語る。目の前なのに遠く、という意味が上手く飲み込めない主人公に、母は、あなた達が俳句を読んだ時、想像的風景に連れられるのと同じことだ、と語る。

母の自宅に着き、風呂に入った後、主人公は本棚に「三つの石で地球がわかる」という本を見付け、それを取り出して読む。「三つの石」とは俳句の五、七、五のことで、「地球」とは地層の話をしていた母のことだろう。

主人公はここで、母と自分との結び付きを確認している。

母は、桜子はいつ帰るのか、と電話で祖母が訊いているがどうするのか、と主人公に訊く。母は、好きなだけいていい、と言う。主人公は、明日帰ると伝えて、と答える。それを友人は不思議そうな表情で見ている。

その翌日、母に送られ、帰りの電車に乗る主人公と友人。車内で、もう帰らない、と言っていたのにどうして、と友人は主人公に訊ねる。主人公は、祖母の隣で俳句を作れるようになりたくなったからだ、と答える。友人は更に、なぜ、と訊く。

主人公は、俳句の宿題を出した先生が、世界が狂っていても俳句が作れれば大丈夫、という話をしていたことを挙げる。

それは正確には、俳句がなければ自殺していた人も世の中にいるだろう、いう話で、それに対して、狂っている、と生徒の側から反応があり、それに対して先生が、狂っているのは世界のほうだ、と不適に笑った、ということなのだが、主人公はそのやり取りを一つにまとめて理解した。

そして、自分の作った俳句の風景があの家に重なって、祖母も父も覆い隠して、何でもないようにしてしまうところが見たい、と思ったから帰るのだ、と主人公は迷いのない眼差しで友人に語って答え、物語は終わる。

主人公は、同居する祖母にも父にも、自分の言葉が軽んじられていることで、無力感を覚えている。俳句の宿題を切っ掛けに、主人公は遠い母の許へ家出することを決める。母なら、自分の言葉を受け止めてくれるからだ。

ここでは、俳句を上手く作ることができないことと、家での言葉を巡る無力感と、母の許へ行きたい気持ちは結び付いている。

主人公は力ある言葉をまだ自力で作れない。そして、母の許への距離は自力では辿り着けないほどに遠い。だから、主人公は手動俳句生成器を持って、電車に乗る。

電車は様々な風景を主人公に見せ、感動を誘い、言葉を作り出す手掛かりを与える。主人公はここで、感動から言葉を作り出す力を身に付ける。

電車を降りると、主人公はトンネルに入る。その中では豊かな風景は何もない。だからといって、立ち止まっていても風景は向こうからやって来てはくれない。ここからは自分の力で、豊かな風景を求めて動かなければならない。

主人公は風景のない中、手動俳句生成器から言葉を作り出す。そしてその言葉から、豊かな風景を思い浮かべる。ここで主人公は、言葉から感動(風景)を作り出す力を身に付ける。

言葉に関わる二つの力を身に付けた主人公は、母の許に辿り着く。その二つの力を身に付けることで、ようやく主人公は自分の言葉を受け取ってくれる相手に出会える。主人公の家出の目的は、ここで達成される。

家出の目的を達成した主人公は、新たな目的を持って家に帰ることができる。その目的とは、同居する祖母と父を、言葉の力で覆い隠し、何でもないようにすることだ。

祖母や父と一緒に住む家は、狂った世界だ。そこで、力のない主人公の言葉は捨てられてしまう。図書館から借りてきた言葉すらも、だ。

祖母も父も、母の語る通り、言葉の力を恐れている。と言うより、父もまた主人公と同じく、狂った祖母の世界に囚われた犠牲者の一人なのではないか。父自身が祖母に言葉を聞き捨てられてきたから、主人公の言葉をどう受け止めていいか、分からないのだ。

と同時に、主人公に言葉を受け止めてもらえないかも知れないことが恐い。そう考えると、主人公の父と母がなぜ結ばれ、そしてなぜ離別したのか、その一端が理解できるのではないか。

母は、主人公の言葉を受け止められる人だったのと同じく、父の言葉を受け止められる人でもあったのだ。そして、地層の話をし始めると止まらないほどに、言葉が溢れ出る人でもある。

言葉を捨てる祖母は、服を畳む時は服を、皿を洗う時は皿を見なければならない、と言った。それは、常に目に見えるものだけを考えろ、ということであり、目に見えないものは考えてはならない、ということでもある。

祖母は想像を禁じている。だから、想像の基礎である言葉は制限され、余計な言葉は捨ててしまう。

一方で、母は、地上に露出した地層から「直接目にすることは できない」地球の奥深くを想像する。その想像を更に言葉にする。それは山歩き中の人をたじろがせたが、恐らくは祖母とも、そんな感じで対立したことがあったのではないか。

祖母と母は、想像と言葉に対する姿勢が正反対だ。父も主人公と似たような反発を祖母に抱いていたはずで、だから父は、母に惹かれたのだ。

だが、祖母と母が正反対である以上、共に暮らすのは困難だ。なら父は、祖母から離れて母と暮らすべきだったが、そうしなかった。父は母よりも、祖母(自身の母)を選んでしまったのだ。

祖母の世界を、狂っている、と感じているのであれば主人公は、母と同じ気質を持つ少女だ、と言える。

父は祖母から離れられなかったのは、母より祖母のほうが近親者だったからだ。しかし、主人公にとっては祖母より母のほうが近親者で、だから主人公は祖母から離れることができる。

祖母ではなく母を選んで家を出る、という、父ができなかったことを主人公は果たす。主人公は父の代理人として、母に会いに行ったのだ。だから母も、自分の許に辿り着いた主人公に、好きなだけいていい、と言う。

しかし主人公は、祖母の待つ、狂った世界に戻ることを決める。なぜなら、やはり主人公は父の代理人だからだ。

父の願いは、母と再び一緒に暮らすことのはずだ。そうでなければ、父は母と連絡を、なぜ今も取り続けるのだろうか。だが、父にはその願いを実現する力がない。父は祖母の支配には抗えない。

父のその願いは、娘である主人公の願いでもある。そして、母の願いでもあるはずだ。そうであれば、主人公は母の代理人ともなる。

祖母の支配に抗い、父を解放すること。主人公はそのために、長い旅を終え、言葉の力を身に付け、母の匂いを纏って戻ってくる。それが祖母に抗う力となり、父に祖母の支配から脱出する勇気を、再び与えることともなるだろう。

主人公が、言葉の力で覆い隠して、何でもないようにしたいのは、父を支配しようとする祖母の力だ。

だとすれば、祖母が本当に恐れているのは、父(自身の息子)が遠くへ連れていかれてしまうことなのかも知れない。