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タイザン5作、漫画「タコピーの原罪」第14話を読む

タコピーは東に、東京へ出発して以降のことと、自分が取り戻した記憶について、要領が悪いながらも説明する。タコピーはしずかに殴られて気絶していたらしい。目が覚めたら、しずかはいなくなっていた。だから一緒に探しに行こう、とタコピーは言う。

しかし東は、しずかともタコピーとも、もう会うことはできない、と言う。それは、事件のことで母が寝込んでしまい、父が戻ってきたが、家業がどうなるか分からない状況だからだ。この「家業」は、「家族」と言い換えることもできる。

まりなもしずかも、離れ行く父を繋ぎ止めようとしたり、取り戻そうとしたりしたが、失敗した。東の家庭では、父の存在にそもそも言及されることがなかったが、やはり父は不在だった。

父の不在がそれぞれの家族の崩壊や不成立の、原因と象徴だった。その父が東の家庭には戻ってきた。東の家庭と家族は回復しつつある。家族の一員として、東は今、家族から離れるわけにはいかない。

タコピーは東に、もう会えないなんて、なぜそんな悲しいことを言うのか、と取り縋る。ぼくといるのが楽しくなかったのか、とタコピーが訊くと、東は「楽しかったよ」と答える。ではなぜもう会ってくれないのか、とタコピーは、更に東に訊く。

東の答えを待つ余裕もなくタコピーは、ぼくがバカで悪い子だからなのか、と重ねて問う。ここでタコピーは、バカで悪い子は嫌われてしまう、という考えを提出している。そして同時に、賢い良い子なら好かれる、という考えも暗黙の内に提出している。

そして、しずかを悪い子のように感じている自分が今も、しずかと会いたい、しずかのために何かしてあげたい、と感じているのはなぜなのか、とタコピーは自身の戸惑いを話す。

タコピーはしずかのことが今でも好きだ。なら、しずかは良い子ということになる。しずかが自分にとって良い子でもあり悪い子でもある、という事態をタコピーは、上手く理解することができない。

東はそれに対して、誰にも良いところと悪いところがあるのが当然だ、という考えを示す。そして、タコピーにもしずかにも悪いところはある、と自分だって思っていることを、東は明かす。

そして東は「それでも 3人で遊べて楽しかった」と言う。「生まれて初めて あんな学校が楽しみに思えた」とも。

「あんな学校」という言い方から、東の、学校に対する嫌悪を感じるが、これは東だけではなく、まりなとしずかも同じように感じていたことではないか。

東は、学校への嫌悪を忘れさせてくれるほどに、一緒にいることが楽しかったのは、三人が友達だったからだ、と語る。

おまえはバカで悪い子だが優しい。バカで悪いぼくを凄いと言ってくれた。バカだから嘘は言わない。そのように東は、タコピーと自分との関係を語る。

つまり友達とは、互いにバカで悪くても、互いの美点を認め合う、嘘のない関係だ、と東は言っている。そして恐らく、この「友達」も「家族」と言い換えることができる。

自分にとってタコピーは友達だから、ありがとう、と言いに来たのだ、と言って東は、ハッピーカメラをタコピーに返す。その「ありがとう」は「さようなら」でもあるのだろう。

そして、ハッピーカメラからは、まりなの血液が拭い去られている。ハッピーカメラは、まりな殺害に使われた凶器だ。

大人達にとって極めて現実的な意味を持つそれが、綺麗にされて、非現実的な持ち主の手に返される、ということは、もうすぐ現在の現実ないし時間は、非現実的なハッピー星人の魔法によって、綺麗に破棄されることが予感される。

東は三人で過ごした時間を振り返り、楽しかったけど、自分は独り善がりでしずかを助けようとして、結局は何もできなかった、と省みる。そして、きっとそれは、助けてあげよう、と思うことが間違いだったのだ、と言う。

東は、もう戻らなくてはならない、と眼鏡を取り出して掛け、立ち去ろうとする。タコピーはその眼鏡が以前のものと違うことに気付く。眼鏡は兄が新しく買ってくれたのだ、と東は説明する。

東は、新しい眼鏡が欲しいということと、まりな殺害事件への関与とを、同時に兄に伝えたはずだ。なら、兄は東のことを、事件に関与した、バカで悪い弟と知りながら、それでも東に眼鏡を買ってあげたことになる。

東と兄が和解できていることが窺える。だが、眼鏡を買ってくれたのが母でないことから、東と母はまだ和解できていないらしいことも窺える。そして兄はバイトをクビになり、大学への進学も危ぶまれている。

兄との和解は少し遅過ぎた。事件への関与の前に和解していれば、こんなことにはなっていなかった、かも知れない。

東はタコピーに、もし時間を遡って次のぼくに会うことがあったら、「兄貴とケンカでもしてみろ」と言ってやってくれ、と頼み、別れる。

この「ケンカ」はハッピー星人の言う「おはなし」と同じだろう。そしてそれが、東が母や兄やしずかとすべきだったことでもあり、これからタコピーがしずかとすべきことでもある。

タコピーはしずかと出会った公園で、しずかのことをじっと待ち続ける。夏が終わり、秋が来て、秋も終わり、冬が来て、冬も終わり、春が来る。

その間に、東京でしずかの父と暮らしていた娘達が行方不明になり、後に衰弱した状態で発見されたことが報道される。しずかの仕業だろう。

そして、しずかは帰ってきた。タコピーから奪い取った、ハッピー道具の数々を汚れたランドセルに提げて。それで生き延びてきたのだろう。しずかは、家族の輪から外れて生きていたが、もはや家族の輪どころか社会を外れて、今の彼女は生きている。

しずかの瞳は暗く冷たい。そのしずかに向かって、タコピーは、おはなしをしたい、と伝える。

タコピーは、自分とまりなとの、忘れていた関係を東に話した。まりなについて話すのであれば、まりなと東との関係もタコピーは話すことになるのではないか。

しかし、東がタコピーと話すのは、しずかのことだけだ。まりなは未来で東が付き合うかも知れない少女だ。にも拘らず、東のまりなへの関心は薄い。

高校生の時の東は、まりなのことが好きで付き合ったのだろうか。自分の荒んだ心を慰めるために、偶然会った、孤独な、かつての同級生に手を出した、ということでしかないのではないか。

東がまりなを捨てたことが、まりなの母というガラスを割り、まりなが死ぬ遠因となった。

もし東が、まりなを捨てたことをすぐに後悔し、まりなの母殺害の直後にでも、まりなの側に駆け付け、支えていたら、まりなが死ぬようなことはなかったのではないか。そしてそこから、まりなの人生を立て直すことができたのではないか。

まりなには好意を寄せられ、しずかには唇を頬に寄せられ、そんな二人を差し置いて、自分だけさっさと家族を回復し始める東。

東も東で大変なのは分かっているが、それにしても何だか、調子が良過ぎないか。

この作品は東にとても甘い、という気がしてならない。それは、この作品の母達あるいは少女達が、父のだらしなさによって狂っていくのと、繋がっていることのように思える。

その狂った母達に苦しめられるのが子供達で、東もその内の一人ではあるのだが、まりなやしずかのように死ぬことはなく、まりなやしずかに囲まれ、まりなやしずかを置いて先に救われていく。

東の、自分の身近にいてくれた女性達に対する、この情の薄さこそ、父のだらしなさの萌芽ではないのか。東、しっかりしなさい。

しずかは、去っていった父に会いに行き、惨たらしく拒絶された。その怒りをしずかは、自分を拒絶した父へ向けるのではなく、何の事情も知らないであろう娘達に向ける。

まりなの母が家族不成立の怒りを、夫や東に向けるのではなく、まりなに向けるのと同じように。

しずかは娘達を殺しはしなかったが、しずか自身がこれまで味わってきたような苦痛を、娘達に味わわせたのではないか。娘達を苦しめるしずかは、もはや狂った母の一人としてある。

狂った母によってまりなは殺された。まりなを殺させないために、タコピーは狂った母を殺さなければならない。では、その狂った母とは一体誰のことなのか。しずかのことだろうか。しかし、しずかは狂った母に殺される娘でもある。

娘を苦しめ殺すのが狂った母であるなら、しずかを殺すタコピーも、しずかを殺すように願ったまりなも、狂った母ということになる。

狂った母を殺すことは、狂った母になることでもある。狂った母という問題に、殺すという解を出してはいけないのだ。

タコピーは、まりなが殺されることも、しずかが殺されることも回避しなければならない。まりなを狂った母にしないことが、まりなを狂った母から救うことになる。

そのためにタコピーは、まりなから背負った、しずかを殺す、という願いや期待を裏切らなければならない。母を狂った母から救うためには、母からの狂った願いや期待を、子供達は背負ってはいけない。

タコピーが、まりなから背負った、しずかを殺すこと。しずかから背負った、まりなを殺すこと。それらは狂った願いや期待だ。二人のことが好きなタコピーは、そのどちらにも応えてはならない。

しかしそれに応えなかっただけでは、単にタコピーと、まりなやしずかとの関係が、なくなってしまうだけだ。タコピーは二人との関係をなくさないために、狂っていない、二人の正しい願いや期待を知り、それにこそ応えなければならない。

それには、互いの良いところも悪いところも認め合う、嘘のない関係、家族や友達になることが必要だ。そのためには、おはなしすることが必要だ。

まりなは既にタコピーが殺してしまったので、おはなしすることはできない。だが、しずかはまだ生きている。狂った母として。

タコピーは狂った母と、おはなししなければならない。自分を殺そうとした、狂った母の、正しい願いや期待を知り、応えなければならない。

それは、まりながまりなの母に対してすべきだったことで、しかし、できなかったことだ。決して割れないガラスであり、決して傷付くことのない子供であるタコピーなら、まりなに代わってそれができる。

決して傷付かない、ということは、決して殺されない、ということなのだ。

しずかは、まりなを殺し、父に再び会うことを願った。それは狂った願いであり、間違った願いだった。まりなを殺し、父に再び会っても、しずかは幸せにはなれなかった。

それは、ただ怒りや寂しさを解消するための、場当たり的な願いでしかなかった。しずかが幸せになるためには、そうではない、正しい願いが叶えられなければならない。

では、それはどんな願いか。しずか自身にも、それが何かは判っていないだろう。

しずかだけではなく、自身を幸せにする正しい願いなんて、誰も判っていないのではないか。判っていなくても皆、何となく生きて、そしていつの間にか、その願いが叶っていたりするもの、なのではないか。

だが、しずかとまりなは、そう悠長に構えてはいられない。二人は、何となく生きる、ということがそもそもできないからだ。死んでしまっては、願いが叶うことはもうない。幸せには決してなれない。

しずかはまだ生きてはいるが、それは死を踏み越えて(乗り越えて、ではない)のことだ。しずかはまりなと同じく、もう死んでいるに等しい。だから、しずかの瞳は死者のように、暗く冷たいのだ。

タコピーは魔法の力を持つ。それは死そのものを覆すことはできないが、死に至る運命を覆すことはできる。二人の少女を死の運命から救えるのは、二人をハッピーにできるのは、タコピーしかいない。

果たして、タコピーとしずかは、何をおはなしするのか。今、しずかは何を願うのか。タコピーは皆をハッピーにすることができるのか。次回の配信を待ちたい。