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弁えたトーキング

昨日は自粛後 1発目の トークレッスン。

ボイトレや演技で 声の出しかたは改善したけど、なんせ久々の人前 そして2ヶ月しまいこんでいたエピソードの引き出しを開けるのには問題はないが、その内容をトークにのせれるような口にまた戻すには修復作業が必要なことを確認できた。
そして アクリル板の恐怖を震撼させられた人がたくさんいた、何故なら思い通りに声が届かず かつ話の内容においては 謎の面持ちのまま終了してしまうから。余計 話した分の余韻がアクリルに跳ね返り 落ち込む人もみかけられた。

話が聞こえてこないというのは ちょっと論外。考えるべきは この謎の距離感で複雑怪奇のトリッキーなテーマや話術で長々と話さず、端的な言葉でひっくるめた 短いエピソードが 現段階のソーシャルディスタンスとして ウケがいい。
聞く側の耳への負担軽減と しっかり目線と声を部屋に充満させ振りまくことで、個室化された相手の顔を上げさせることができるのだ。

レッスンはひとくくりで考えてはいけない。
演技は演技というものを続けなきゃ思い出せない。
歌はずっと歌い続けて、歌唱能力のリカバーも必要。
そしてトークだって、トークならではのアドリブや工夫 そして抑揚なんてのも大事だから、他のレッスンを受けても治せない技術ばかり だから、同じ話を頭の中で そしてレッスンの前の日にあっためておかなければならなかった。それが昨日唯一の反省点。

一方で、表情には活気があったことは 演技同様 良くなってきている。トーク内容は枕が長くなってしまったが、着地点もまずまず。自分らしい悪いものでもなく、皆の口は見えずとも みんなの目は笑っていた。

得意のトークだからといい、入りたての新入生に 爪痕を残さずにはいられない むしろトラウマになる程の存在にならなくては 自分は納得いかない。
自分なりの戦術を見つけ、これからも直走る。

#川添友太郎
#トーク
#note

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