文章の、画面の向こう側の人と「読む」ことのそもそもみたいな話

昨日書いた記事、半分くらい寝ながら書いたのもあるけれど、ちぐはぐ、でこぼこで読みづらくなっちゃってますね。

思い付いたことをうわーーって書くのは得意なんですけど、「コレを書こう」と決めて構成を考えてまとめて…ていう書き方はどうも苦手です…。まずワードとかに下書きを打ち込んで添削して…ぐらいの手間と気合が無いと書けないです。

うわーーって書くやり方の楽しいところは、話がどんどん脱線していくところです。脱線にも良いところがあって、する予定じゃなかった話を思い付いたりするんですよね。あと勢いで書くから文章がエネルギッシュになります。とっ散らかっちゃうんですけどね。一長一短です。

今回も「うわーーーー」方式で書いてます。この文章を打ち込んでいるこの瞬間、「今日はあの話をしようかな」って決めてたことを忘れています。つまり何を言うかわからない状態。

あ、そうそう。#初投稿 とかで調べてみるとわかるんですが、コロナで時間ができて、note気になってた人たちが次々noteデビューしてるっぽいですね。

そこで気になったのが、みなさんがよくおっしゃっている「文章の向こう側に人がいるんだな」って感想。これは僕も思います。

特に日記や初投稿、自分語りの記事を覗いてみるとわかるんですが、ほんとうにいろんな文体があるなあとしみじみ。

ひとこと喋るごとにおちゃらけてみる人、

見たことない顔文字を乱発する人、

なんにでもエモいって言う人、

句読点の使い方が独特な人、

読み手が分かるように丁寧に丁寧に説明する人、

ユーモアたっぷりの口調なのにどこか哀愁のある人、

などなど、千差万別十人十色。

そういえば、「文体は性格だから、簡単に変えられないことを受け入れよ」って昔の偉い人が言ってました。(スーパーうろおぼえ)

僕は文体は性格ではなく、顔だと思っていますが。

記憶が正しければ、レヴィナスって人が言っていました。

「誰かの文章を読むことは、誰かの表情を読み取ろうとすることに似ている」

似ていませんか?(説明書とか判例とか、論理性が要求される文章は違いますが)

読むことを通じて「何を言わんとしているのか」を読み取ろうとすることと、顔色を窺って「どういう気持ちなのか」を想像すること。

文章も顔も「読み物」じゃないですか。

例えば「今日は暑かった」としか書かれていない日記を読んだ時、私たちは「今日は暑かったんだな」という情報を受け取る以外にも、「今日は忙しかったから一行しか書かなかったんだろうな」とか、「とりあえず日記は書けば良いとか思ってそう」とか、いろんなことを(想像して)受け取るわけです。これを文脈と言いますね。

顔にも「文脈」に当たるものがあります。

私たちが誰かの笑顔を目の前にして「嬉しさゆえの笑み」「愛想笑い」「苦しさを誤魔化す笑い」「冷笑」のどれなんだろうかと、その人をとりまく状況や性格から読み取ろうとするわけです。

もっと突っ込んで言うと、あくまで「推測」しているんですよね。「文脈から想像」している。

ですから、「読む」という行為は本質的には「誤読」でありまして…というのは込み入ってしまうんでやめておきましょう。

でも、文章と顔がほとんど同じなのはわかっていただけたんじゃないでしょうか。

つまりなにが言いたいかというと、先に「文章の向こう側に人がいるんだな」なんて書きましたけれど、私たちは文章を読んでいるときと、誰かの顔を見ながら話しているとき、同じものを感じている。

言い換えると、こうやって私たちがパソコンに表示された文字を目の前にしているときと、実際に人と会って話をするとき、ある意味同じ行為をしているんです。

それでですね、面白いのが、「文章=顔」を「文章の向こう側に人がいるんだな」という文章に代入してみると、

「顔の向こう側に人がいるんだな」ってなるんです。私たちは「人」、つまり「他者」を、顔の向こう側に感じていることになるんですよ。

他者とはつまり他の人、自分以外の全員が他者に該当し得る。

もっと言い換えてみましょうか。自分以外の人とは、自分が知らないことをすべて知っている人。あ、話が難しくなりそう…

でも、これがおもしろいですよね。「人は顔の向こう側に人を感じる」ってことは、つまり、人(=他者)は常に表に出てこないんですよね。あくまで顔の向こう側にあって、「顔を読む」ことを通じてしか私たちは人(=他者)を感じることができない。直接触れることはできないんです。

私たちは孤独な生き物ですよ。でも、だからこそ、「読む」ことはおもしろい。

…本当は800字くらいで〆られたらなあなんて思ってるんですけどねえ。ついつい書いてしまって、どう終わればいいかわからなくなる。

でもなんとか締まったかな?

誰かがこの記事を読んで、noteを読むのがよりおもしろく感じられるようになったら僕の仕事は成功したと言えるでしょうか。もしそう思ってくれる人がいたら幸いです。

では、おやすみなさい!




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