ポンタさんが教えてくれたこと
旅するスーパースター、蕎麦宗です。
19年も店をやっていると、伊豆の三島というこんな片田舎の小さな手打ちそば屋にも、芸能人や著名人は来るもので、様々なジャンルの方が来店して下さった。僕の考えとしては、彼らのプライベートはそれとしてプライバシーを尊重したいので、○○がいついつ来店しました!なんていう自慢めいた事はしたくない。ましてやご本人の了解なくやるのは失礼千万と思っている。
しかしながら、どうしても書きたいと思ってた内容があってここに紹介したいのが村上ポンタ秀一さん。もし、『あちら』に伝わるのなら、お許し願いたいと思う。というのは2021年3月に70歳で永眠されているから。改めてご冥福をお祈りします。
《村上ポンタ秀一》。音楽に関わる方ならその名に必ず触れているはずだ。戦後日本の音楽の黎明期から超一流のドラマーとして活躍し、関わった大物アーティストは多数。その名を海外にまで知られるポップス&ジャズ界の巨人である。
しかし、音楽に疎過ぎる僕は、なんとなく名前を聞いたことあるな!程度で、どれほど凄いアーティストなのかを失礼にも存じ上げなかった。
季節は弥生。大柄でファンキーなオッサンが暖簾を括り、ガラリと引戸を開けて入って来た。『いらっしゃいませ』の『い』の字を声にしたそれに呼応する間で、開口一番こういった。
『兄ちゃん、俺はお前に恨み節だ!』。
顔にはイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。『…らっしゃいませ』を言い終えた僕は、『ほぇっ?』と思いつつ、『ああ!』と思い出した。
その人は半年ほど前に、クルマを停めた蕎麦宗の前のパーキングから『やってるか?』と声をかけられた際に断った方。それは、売り切れにて少々早いが店を閉めるべく、暖簾を下げに外へ出た時だった。車には音楽機材が山と積まれていたのと、そのファッションから、隣のライブハウスの演者だろうと記憶に残っていたのだった。
『その節はすいません、また来て下さってありがとうございます』
何品かと蕎麦の注文を受けて、一人作業へと移ると、マネージャー兼務風情のミュージシャンがもうひと方みえた。待つことを承知した2人は会話を始める。他にお客さんが居なかったので、背中を向けて調理しながら聞き耳を立てた。どうも作品の打ち合わせをしてるようだ。すると聞き覚えのある名前が、次々に上がる。
『桑田のはどうした?…。達郎はもう仕上がったんだよな…。こないだの吉田のステージは良かったなぁ!…』
などと、やり取りをしている。ん?!桑田ってひょっとしてサザンオールスターズ?まさか山下達郎?!ってことは吉田はドリカムの吉田美和!……と、その名前の連なりからアーティスト達が浮かんだ。すると相手(後から来た方)が、
『でも、ポンタさん、あれは〇〇だから△△ですよ』
とレーベルの名を挙げて応えているのを聞いて、さすがの僕も思い至った。
『あのぅ、すいません。ひょっとしてポンタさんって、あの村上ポンタ秀一さんですか!』
ファンキーなそのオッサンミュージシャンは親指を立てて応えた。CDジャケットをよく読めばそちこちに書いてあるその名前。とはいえ、ドラマーなのでボーカリストのようには表に出ることは少ない。なので仕方ないといった感じでにこやかなポンタさん。
そこからは音楽に疎い僕の無知・無礼を詫びつつ、色々とお話させてもらった。ドラムスの事を僕は全くわからないけれど、音楽の話を少々と蕎麦について少々。やがて天ぷらを揚げ終わり提供する頃、ポンタさんが天箸を指差してこう言った。
『それはよく見るとスティックそっくりだな』。
僕は近くに持って行って見せ、天ぷらを揚げる時に使うものなのでこんな太さで…などと説明するとマネージャー風情の方に首を振る。
『おい、確かクルマに予備あっただろ!?持ってこい!』
すると、目の前のパーキングへと向かいしばらくしてドラムスのスティックを2セット持って戻って来て、ポンタさんへとその新品のスティックを手渡した。僕はそれを眺めた。初めてだ。そして、ポンタさんは包んでいるカバーを外すと、手振りそぶりを加えて、
『この先っぽを切り落としてさ、そしたらその箸そっくりだろっ!兄ちゃんにやるよ!自分で切って天ぷら揚げるのに使え』
そう言って僕に手渡した。
『えっ、こんな大事なもの良いんですか!』
よく見ると《SHUICH "PONTA" MURAKAMI》と、サインまで入っている。超一流のドラマーだからこそ許されるオリジナルスティックのようだ。
なんだか畏れ多いけれど、そしてドラムスはおろか音楽の事を大して知らない自分が貰っていいものか、と一瞬迷ったが、せっかくなので有り難く頂戴した。ポンタさんはそのスティックで天ぷらを揚げるのを想像するかのように、楽しげな笑みを浮かべている。入店時のちょっとおっかない微笑みとは異なる、優しい笑顔だった。
蕎麦を食べ終え、『リハーサルボチボチ始めるか』と言いながら颯爽と去って行く。僕は目の前にサイン入りのスティックを置いて眺め、興奮しながら洗い物に精を出した。
後日、立ち寄った本屋でポンタさんの自伝をたまたま見かけて読んだ。思ってた以上に凄い方だった。ますます畏れ多くて、丸い先端を切ってあのスティックで天ぷら揚げるなんて出来ない。一つは常連さんのアマチュアミュージシャンがドラムスをやっているというのであげた(あの方は今どうしているだろうか)。
また、後日ポンタさん達が来てくれた際には、隣のライブハウスで行うジャズイベントのチケットを頂いた。無料で招待して下さったのだった。初めて目の前で聴く《村上ポンタ秀一》のドラムスは、明らかに主役と言って相応ふさわしい響きで、僕の五臓六腑を震わせ、魂を揺さぶった。
…さて。僕がポンタさんとの関わりで何を思ったのかを書こう。
もし音楽に携わり、もっとポンタさんを崇め知った存在としていたのならば、あんな風に気軽には話せなかったはずだ。芸能人であれ著名人であれ、それは自分自身が興味を持っているか、頻繁にメディアに出ているが故に見知っているだけに過ぎない。仮にそうでないならば、ちょっとファンキーなオッサン!とか、(野球選手を見たとして)かなり体格の良い兄ちゃんとしか思わないだろう。なぜならば只者ではないオーラは、超一流になればなるほど、普段は表に出さないものだ。
なので、どれだけスゴイ人であっても普段通りに接すれば良いと思っているし、逆に一般人であっても、1人の人間としてしっかりと尊敬を持って接したい。
あの日、ポンタさんから、そんな事を教えてもらったんだと、15年以上経った今も、時折スティックを眺める度に思い出している。終
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