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正解だらけのクルマ選び その9【ルノートゥインゴ③】

「近隣に自宅がある自分の代わりに、校長住宅に住んで欲しい」

着任してすぐに受けた面接で校長先生から言われたのはそれだった。当時、静岡県立高校には教職員住宅とは別に、公共交通機関の不便な地区には僻地手当の一つとして校長先生が家族で住める住宅が用意されていた。赴任先が全県一区なうえ、県立高校の校長ともなれば地域の盟主でもある、というかつて名残のためだ。

それはそれで有り難い話、と快諾して、天竜杉をふんだんに使って普請された5LDK150坪の平家に、家賃5万円程で一人住んでいた。が、贅沢な反面、学校とは目と鼻の先、正門まで徒歩15秒。これは嫌だ。生徒にバレると面倒だということで、早起きして少し遠回りのトゥインゴドライブを楽しんでから出勤していた。おかげで住んでいた2年間バレてない。蛇足だが、【オガハウス】で書いた通り、もちろん、しっかりと仕立てたスーツにネクタイ・革靴で格好をつけて通勤。ジャージで出勤する典型的な体育教師にはなりたくなかったからね。

サッカー部の顧問になった僕は、静岡全県の高校へトゥインゴを飛ばした。静岡県は長く広く、東名高速だけでも東西170kmある。住んでいる天竜市から最寄りのインターまで50km。仕事以外でも夜中に信州や愛知県まで脚を延ばし、一晩で300kmのドライブなんてこともザラ。まだ大学生だった彼女(後の妻)とは遠距離恋愛だったので、高速を飛ばして東京は用賀で降りて環八の大渋滞を抜け、埼玉県の浦和まで会いに行く、なんていう往復700kmもサラっとこなした。うん、若かった。

走り回ることが本当に楽しかったのは、単純にMTのクルマの運転が好きだったからだが、それを支えてくれたのがトゥインゴのシート。シトローエン2CVに端を発するフランス車のシートの良さは、乗った経験のある方ならご存知の通りかと思うが実に秀逸。ドイツ車やスポーツカーのカチッとしたそれとは異なり、身体をふわりと包み込むなんとも言えない至極のモノ。イスではなくソファといっても良いかもしれない。峠をハードに攻めるような走りには当然向いてないが、沈み込むでもなく全く疲れさせないあたりは絶妙なバランス。

しかも、表面生地がオシャレ。自分のはファブリックだったが、ポップな幾何学模様は内装の印象にピッタリだった。というのもこのトゥインゴの内装、頑張って皮革製品風を装うような飾り気はなく、「プラスティックで何が悪いか」という風に開き直っている。その辺りが逆にモダーンを感じさせて*モノスペースという当時の最先端を表現するには、大衆的インテリアとして最適解だった。

外観は「初代ホンダトゥデイ」のパクリと揶揄されたものの、瞼みたいにめくれ上がったヘッドライトがアイコンとなり、*モノボックスのぽってりとしたボディにピッタリ。ミニチュアブルドックのようなブチャカワに惚れて選ぶ女性がいても不思議でない。25年が経つのでチョイ旧車ってところだが、もし気に入ったのなら中古車で若いOLさんが今乗ってもオシャレだと思う。

僕のモデルは一応スポーツパッケージになっていたので、軽い車重と相まってキビキビとよく走ってくれた。あの《イチロー》が日産マーチを外観はそのままに中身はGT-R並みに改造して楽しんでいたというが、『羊の皮を被った狼』ではなく『ネズミの着ぐるみを纏ったチーター』はさぞかし面白かろう。と、僕のトゥインゴもチューンナップして…なぞ考えたことあったがやめておいた。なんとか2台持ちしてアルファロメオスパイダーを購入するつもりだったからだ。

ただ、一つ難点だったのがパワステが付いていないいわゆる『重(オモ)ステ』なこと。なのでバックの車庫入れだけは難儀だったが、車の構造や仕組みを知りハンドリングの基本を覚えるのにはそれも一興だと思う。

そんなこんなインプレ的に勧めるくらい、すっかり気に入った愛車ルノー・トゥインゴとのカーライフを次回もう一つ。つづく

*モノスペース…折り畳み可能な後部座席で荷室が仕切られていない、客室空間が一体となったもの。今の車ではスタンダードになったが、このあたりから始まっている。日本では名車トヨタ初代スパシオあたりだろうか。

*モノボックス…ボンネットやキャビン、トランクが一体でひと塊りになったデザイン。それまでの3ボックスセダンに代わり、これもこの時代から主流となった。

#ルノートゥインゴ #最初の1台を選ぶ #遠距離恋愛 #旧車を嗜む

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