見出し画像

やる気を探して!mt富士ヒルクライム②

旅するスーパースター、蕎麦宗です。

いよいよ区切りのレース・2022年mt富士ヒルクライムを迎えた朝。目覚まし時計より早く、4:00に起きてカーテンを開ける。外は路面こそ濡れているものの、すっかり雨は晴れ上がり青空がのぞいていた。階段を降りる踊り場の窓の向こうには、うっすらと雪化粧をした富士山が浮かぶ。

『よし、これなら行ける』

やる気が無いなりにも走る気は満々で出発の支度をしているところに、

『宗さん、僕もスタート地点までお供します』

とLINEが入った。CLUB SOBASOの仲間の手塚君からで、彼もまた散々ロードバイクで共に走ってきた若き仲間だ。

画像1

韮山や三島ですらこの肌寒さだから富士山はさぞかし冷たかろうと、冬のアンダーウェアを着込んで5:00ちょうどに出発。しばらくは水飛沫をお尻に浴びながら、三島で手塚君と合流し御殿場を目指す。すると、サイクルコンピュータの電源が落ちた。

『やる気の無さってこういう所に現れるよね』

充電し忘れた自分自身に、そう呆れたように呟くと、

『なんだか懐かしいですよね、散々走りましたよこの道。いつ以来ですかね?』

と手塚君が応える。思えば2年ぶりで、かつては練習やツーリングで度々訪れた道も、曲がり角を間違えるくらいに忘れかけていた。御殿場の市街地を抜け、眼前に青々とした富士山の裾野が見えてくると須走の駐屯地を過ぎる。そこからオリンピックコースでも使われた籠坂峠を越え、富士吉田の北麓公園を目指す。脚を使わないようにそろりそろりと走って来たけれど、それでも距離75km・獲得標高1500m。ちょっと疲れたが本音。そんな自走でのアプローチから、mt富士ヒルクライムレースに気持ちを切り替える。

画像2

スタート地点が近づくにつれゼッケンをつけたローディー達が路上に溢れた。皆んな参加者。コロナ禍が落ち着いての大会ということもあり、8000人を超える出場者が集ったようで、大会前の賑わい盛り上がりが久しぶりに戻ってきている。本来ならばこれでテンションが上がり、メラメラと気持ちがたかぶるのだが、

『俺のアドレナリンはどこ行ったんだろう?ひょっとして枯れちまった?!』

なんて、冷や汗かいて笑えるくらいにスイッチが入らない。まあそれでもこれも一区切りと、計測の始まるリアルスタート地点で記念撮影をする。

『では、僕はここで』

と伴走してきてくれた手塚君が帰って行くのをサンキュって見送りながらスタート。計測チップの作動音が聴こえるとすぐに料金所をくぐる。どんなペースで走ろうかな!なんていうイメージもないままに、負荷の掛からない強度でのんびりと景色を楽しむことにした。

画像3

そんな風にゆっくりと走っていると色々な事を想い出す。のぼせ心地で杉山君や新村さんの背中を追いかけた、走り始めたばかりの頃。妻を亡くし、それでも心を奮い立たせて走った時の早野君の背中。手塚君や籐君など、僕の背中を追い越していった若者達。当時高校生だった永田君が年代3位になった際の喜びは未だ忘れない。同じ蕎麦宗ジャージに袖を通した仲間が、あのmt富士ヒルの表彰台に立っている。そしてそれを喜ぶ沢山の青き仲間達…。

いつだって前と富士山の頂を見て走っていた。それでも目標は常に人との比較でなく、過去の自分自身との戦いだった。

他人ひとと比べるな、昨日の自分を越えて行け』

仲間達にはいつもそれだけは伝えていた。そんなこんなをまぶたに浮かべながら、鼻歌交じりですらないゆるゆる漕ぎの自分が、ゼェハァして一生懸命走っている人を追い抜いてゆく。その横を真剣なガチ走りで追い越して行く人がいる。自転車でレースや旅をしていると、ついつい人生になぞらえてしまう。皆それぞれに思いを抱えて生きてるんだよな〜、彼等は何を思い立ってこんな辛いチャレンジをしているか?、その意味をどこに置いているのだろう?とか。

サイクルコンピュータが消えているので、距離も速度も何分間走っているのかも分からない。途中、こんな機会も無かろうと片手運転でスマホを持って動画を撮った。自転車を停めて、見晴らしが良いところから富士の樹海を写真に納めもした。が、今日はレースだ勿論そんなヤツ一人もいない。ちなみに総合優勝した選手は*ゴープロ付けて撮影しながら57分で走り切ったそう。時代は変わったのだと改めて思った。

*ゴープロ…動画撮影用の機材。自転車などの動くモノでもぶれなく撮影できる優れもの

画像4

最後のトンネルを抜け、選手達を奮い立たせるアナウンスが聴こえる。先に終えて下りてくる参加者達の掛け声や声援が復活していることも嬉しい。ひと頃まではゴール地点は人だかりで、誰彼構わず応援してくれるその声に力を貰った。しかしそれも対策とやらで相変わらず観客は居ない。何かが間違っているのはプロ野球やJリーグも然り。グランツールはずっと普通にやっている。アマチュアだから仕方ないのか…。それでも皆、最後の力を振り絞って全力で登って行く。そんな中でも、あまりにのんびりとにこやかなままに坂を登っているからなのか、アナウンサーが手を振って絶叫して応援してくれた。僕も手を振って応える。

『アナウンスもお疲れさん!ありがとう!』

結局、24km・1200mを上り切った達成感も坂から解放される安堵もなくゴールした。しばらくすると仲間の内藤(和尚)さんが声を掛けてくれた。その仲間達の内の多くが、僕と同様にモチベーションを失くして出場を取りやめたりエントリーしていない中、自己ベスト目指して出走した事は尊敬に値する。たった一人でも仲間に会えて良かった。

画像8

昨日預けた荷物を受け取り着替えを済ませると、早々に下って富士山一周ツーリングへと切り替える。本栖湖、朝霞高原のソフトクリームを経由して富士宮へ。先週思い立った富士宮浅間大社に立ち寄ってお祈りする。コノハナサクヤヒメにあやかって、かぐや姫のお嬢さんが楽しい日々を送れますように。富士から駿河湾へと出て千本浜を行くが、坂に対してずいぶんヘタレていて平地を進める脚が残っていない。あんなにゆっくり走ったのに…。

『これはロングツーリングの課題だな』

このままじゃ【レイラインツーリング】の完走は夢のまた夢。長時間かつ連続した中負荷のトレーニングはやり直す必要がありそうだ。また毎日走り続ける回復力もテーマになる。そんなことを感じつつペダルを踏みスピードを上げる。帰宅は16:00。

画像5

翌日、50代のリザルトを見た。
仮に自己ベストならば表彰台、*ゴールドならば優勝。つまり、どの目標に設定しても結局は同じ一つのことに集約される。そのことが一度折れてしまったモチベーションを再び奮い立たせるには酷だった。加齢により体力が落ちるのだけは加速している。途絶えた継続からの復活は並大抵のことではない。

『乗りたかったなぁ〜、表彰台!』

とも思うけど、鞭打つには相当な覚悟が必要だ。そこへきて、しかも密対策とやらでそもそも表彰式は無くなってしまった。勝利を分かち合う仲間も居ないとなると、怠け者の僕としては、やはり気持ちは上がらないのも無理もない。そもそも僕には決定的に何かが足りない。おそらく一番にはなれないだろう。

となると自転車に対するモチベーションは無くならないのか?と問われそうだが、それは即答出来る。レースが全てじゃない。自転車っていう、こんな楽しい遊びやめるわけないじゃん。走りへの欲=《やる気》だけは全くもって減っていない事は確認出来た。ただ、やるのかやらないのかに振り回されるのはもうご勘弁。だから、

《僕が走る場所は僕が決める》。

次の目標【レイラインツアー】に向けて、ひとつづつ課題をこなして行こう。旅への希求はきっとやまない。

ふと、一緒に走ってくれた手塚君と早朝に話していたのを思い出した。

『なんかさ、夢中になって遊んでた子供が夕焼け空見てそろそろうちに帰らなきゃって時のあの淋しさに似てるよね』

《40の手習い》で始めたロードバイクのレースは沢山の仲間達がくれた刺激のおかげだ。また、そこには沢山の出会いもあった。そうして夢中になったその時間に僕は救われた、と思っている。それはまさに《青春》だった、いや中年世代だから《青秋》とでも言うのかな。これから晩秋を迎え冬へと向かう世代・年齢。またいつか欲深く勝ち負けや記録を求める季節が来るのだろうか。還暦過ぎたらそれは《青冬》だな。そんな熱き心を、今はそっと仕舞っておこうと思う。沸々と湧き上がるかも知れない、いつかのお楽しみとして。終

では、ガンバラナシませう。

*ゴールド…65分以内のタイムで完走した人が貰える記念リング

画像6
画像7

#mt富士ヒルクライム #モチベーション #挑戦する #加齢と向き合う

読んでくれてありがとう。少しはお役に立てたかな⁉︎。聞きたいことあったら、ぜひ質問くださいな。もし楽しい気持ちになれたなら、ほんの少しだけ応援ヨロシクです。