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蕎麦宗店主の自転車クロニクル

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自転車にまつわる思い出話をまとめました
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記事一覧

蕎麦宗店主の自転車クロニクル その1 【プロローグ】

CLUBSOBASOのことを書こうと思ったら、SMP(sunday morning practiceというロードバイクの練習…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その2 【ピンポンパン自転車】

ママと遊ぼう!ピンポンパンは1966〜1982年に、フジテレビ系列でやっていた子供向け番組で、僕(…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その3【初カスタム】

小学生になって身体が大きくなり、また、ちょっとした「男の子」な自尊心が、女の子みたいな可…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その4【タイガース自転車】

僕(1972年生)らの時代、「トウキョウ」のような都会はいざ知らず、伊豆は韮山のような田舎の子…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その6【韮山古川探検】

巷は訳あって夏休みのように長い春休み。夏休みといえば自由研究。今は随分と制約が多いようで…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その7 【無段は無惨に】

 中学3年間は無遅刻無欠席だ。それは実はロードマンのおかげ。  もう時効だから話そう。僕の…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その8 【ブリジストンATB】

ゲーリーフィッシャー・トムリッチー・ジョーブリーズ…。MTBの黎明期を彩り、その後各自のブランドを立ち上げたレジェンドたちの名は今となっては知る人ぞ知るか。 誕生から40年以上の時を経て、世界中を席巻した感のあるMTB(マウンテンバイク)は1970年代のアメリカ西海岸で生まれた。日本でも1980年代の半ばには、新しい物好きの大人達が飛びつきマイナーながらもジワリと広がっていた。 1987年。高校入学時に買って貰った《無段》が無残な姿で帰ってきた話が前回。当時、ブリジストン

蕎麦宗店主の自転車クロニクル その9 【どこでも自転車】

一家に一台の『マイカー』がやっと普及し、運転や所有はもっぱら父親のものだった頃から何年か…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その10【いつかの少年の自由の翼】

日常の脚、移動手段として『どこでも自転車』だった事は前回。サッカー部の親友・三輪の自転車…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その11 【天城林道ツアー】

若い頃、というのはどうしてああも無謀なのだろうか。 三輪と一緒に行った天城山の林道ツアー…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その12 【遭難未遂の天城山中】

天城の山には思い出がいっぱいある。前回の三輪とのツーリング中の怪我の話に続いてもう一つ。…

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蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その13 【ミソノイサイクル】

浜松へは、よく行く。 静岡県は東西に長くまた『遠州』・『駿河』・『伊豆』と三つの國から成…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その14 【リッチーP-23】

浪人生というまるで囚われの身のような身分の割には結構自由にしていた僕は、予備校帰りに《ミ…

蕎麦宗
4年前
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蕎麦宗店主の自転車クロニクル その15【ハマの尋問】

晴れて大学生として、またリッチーP-23のオーナーとして、横浜での新生活も自転車三昧だった。 一人暮らしを始めた下宿からの通学はもちろん、親しくしていたバレーボール部の磯崎輝男の横須賀・衣笠の自宅にも、仲良くしていた百合ヶ丘の彼女の元へも、バイト先の新横浜や横浜中華街へも、どこへ行くのも移動は全て自転車だった。時折帰る伊豆は韮山の実家も、電車賃をケチるがために箱根越えや熱海を経由して片道100km近い距離を行き来していた。 時に国道16号を下って三浦半島を一周したり、久里