蕎麦宗店主の自転車クロニクル その19【ヤギさんと西伊豆の夕日】
大学生時代に一緒にツーリングをした仲間に三輪ともう一人ヤギさんがいる。尊敬する友人の一人だ。ヤギさんというのはもちろんあだ名で、本名は青柳という。三輪と同様に韮山高校サッカー部の同級生で、【サッカーはやめてしまったけれどその10失意の高校総体】に書いた通りの、無念の結果に終わった思いを晴らすべく、浪人することになったこの3人で筑波大を目指し共にサッカーをしようと話した。結局僕は横浜国大へ三輪は理転して金沢大へ、目標と約束を守って筑波大に入ったのはヤギさんだけだった。
ヤギさんはそういう男だ。
有言実行という言葉があるが簡単なことではない。いつだって心は揺れているし、流行りも誘いも沢山ある。心変わりするのは秋の空と女ではなく、自分を含めほぼほぼ全員だ。でも、ヤギさんは貫く。それゆえか、彼はいつもマイペース。
3人で初のツーリングに出かけた時、事前に三輪と僕とでMTBをあれだけ勧めたのに、実際にはロードバイクで現れた。パナソニックのオーダーで色だけ僕のリッチーと同じ*トリコロールにするあたりは洒落ている。
2人で行った松崎の室岩洞ダンジョン探検ツーリングは2日目からの合流で、西伊豆は仁科川の河口で待ち合わせた時、約束の時間から2時間経つのにちっとも現れない。僕の走力をベースにかなり余裕をみて風早峠越えの75kmを設定したけれど、とっくに諦めてノンビリ走ってきたようだ。どうも無理があったようで僕のせいになったのはその通り。
そんなヤギさんとキャンプツーリングしながら、将来を語りあうのは本当に楽しかった。西伊豆のひと気のない遊歩道に建つあずま屋の、横の芝生の広場にテントを張り、親切な地元の方がくれた凍ったペットボトルの水で、持ち合わせた『角瓶』のウィスキーを水割りで飲む。はるか崖下から流れ来る磯の潮の匂いを肴に飲む。星屑が降り注ぐ暗闇に波の音だけが聞こえている。ロウソク一本の灯りと酔いも手伝って、真剣に本音をぶつけ合った。
ヤギさんは言う。
「俺はいつか世界へ出る」
1990年代初頭はインターネットもまだなく、国外の情報は未知だった。スポーツでいえば、サッカーのカズや野球の野茂がようやく世界の扉を開いたばかりの頃だった。僕もそれに憧れていたので同様に夢を語ったが、未だに実現できていないし、これからもきっとない。でもヤギさんはその通りにした。西伊豆の夕日に誓ったように。
大学卒業後、理系にも関わらず文系就職して商社マンになり、社費留学で中国へ渡り帰国と共に退社。暫く浪人生活を過ごし、その間勉強してアメリカの大学へ進学。そこで*MBAを取得して帰国、某超一流企業で韓国へ渡り活躍。その後転職して今は参天製薬に移り、腕一本で活躍している。いわゆるスーパービジネスマンである。
結婚後、奥様の出身地の大阪に居を構えて以来あんまり会うこともなくなった。4ヶ国のビジネス語を操り、世界を股にかけて活躍する姿には尊敬しかない。あの頃話していた通りだからだ。それに比べたらドメスティックに蕎麦屋をやってる自分は小さ過ぎる。でもきっとヤギさんはこう言ってくれるだろう。
「山ちゃんは自分の世界を創っている」
*トリコロール…赤・白・青の3色
*MBA…経営学修士(Master of Business Administration)。経営学を修めたものに対して授与される学位で、国際的ビジネスの世界では必須とされる。
#将来を語る #伊豆一周ツーリング #若い頃にすべきこと #親友
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