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サッカーはやめてしまったけれど その11【後輩と宿敵との選手権】

高校総体を不完全燃焼のまま終わった僕は、埋め合わせる何かを探していた。文化祭の女装コンテストにサッカー部の木伏・渡辺と共に出場したのもそれゆえだ。そして、*あみんの『待つわ』を歌い見事に総合優勝した。

けれどそんなことで埋まるはずもなく、監督と後輩達に許可を得て、3年生でたった一人残って選手権を目指すことにした。進路を体育系に定めていたので先生方は問題なかった。しかし、僕が残るとなるとFWの席がおそらく1つなくなる。それを承知で2年生をはじめ後輩達は喜んで受け入れてくれた。今でも感謝しかない。

1つ下の仲間も才能に恵まれ、またチームワークに長けたメンバーだった。守護神GK大倉、SB綿引、キャプテン一杉と市川が操るゲームメイクにFW植松と土泉、そしてその3トップの一角にウイングとしてメンバーに入れてもらう自分が絡む。夏休みも彼らと共に練習し、勉強なんかちっともしなかった。だって韮山という近くの高校に来たのは、サッカーがしたかったんだもの。そして秋。選手権を迎えた。

当時の静岡県の代表選考は先進的にリーグ戦が組み込まれていた。全国の本戦は一発勝負のトーナメント戦にも関わらずこれが採用されていたのは、本場ヨーロッパや南米に習い、また高校生という育成年代ゆえと聞く。全国大会を目指す競合校はほぼ3年生で構成される。2年生主体の新生韮高サッカー部は予選トーナメントを勝ち抜き、あと一勝で2次リーグ進出となった。

そして反対側の山を勝ち上がったその相手。宿敵・富士高だった。またか、とも思った。相手も進学校ながら三人の3年生が残っていた。試合は拮抗するものの、またしても富士高が先制。僕は徹底的なマークに遭い、身動きを封じられたまま後半10分ほどを残し交代。試合は富士高の勝利。残念ながらベスト16には行けず3年間のサッカー生活が終わった。

試合後、富士高の監督が成長ぶりをほめてくれ、大学でのサッカー部入部を勧めてくれた。残った3年生の田中・佐藤・遠藤とも握手して語り合った。遠藤とはこの5年後にまるで腐れ縁な再会を果たすことになるのだが、この時はまだ知らない。他校とはいえ同じく進学校、残った3年生同士の絆が生まれた。やりきった感はあったので笑顔のままに。

後輩達と談笑しながら、帰り道の伊豆箱根鉄道(いずっぱこ)。自分よりも先に駅を降りるGK大倉がポツリと言った。

「山川さんともう少しサッカーしたかったです」

涙がこぼれた。急に悔しさが湧いてきて涙が止まらなかった。「お前ら頑張れよ」の一言すらかけられずに別れた。きっとアイツら覚えてないと思うけれど。

宿敵・富士高はリーグ戦を勝ち抜きベスト8に進むものの敗退。この1990年度の静岡県代表は、優勝した清水東と、全国推薦でのあの*名波率いる清商だった。つづく

*名波…名波浩。日本代表の10番を背負いフランスワールドカップなどで活躍。長年ジュビロ磐田の監督を務めた。

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