見出し画像

2021年10月21日 寒い

 時節柄、各党党首の出演する討論番組や各党の街頭演説の動画などを目にする機会が増えた。ただ、もともと支持政党はないし、特に政治的信念などもないのでそのようなものを見ても、よしここに投票しようとなかなか決められない。今回も投票にはいかないのかもしれない。

 今回の選挙戦、大雑把に見て、分配か成長かで各党争っているようにみえる。成長なくして分配なし、なのか、分配なくして成長なし、なのか?。それぞれの言い分に一理ある(ように感じる)。

 成長なくして分配なし。無い袖は振れない、それはそうだろう、経済成長して税収が増えてこそ、福祉でも公共事業でもぞんぶんにお金を投入することができる。経済が停滞していては税収は増えないから必要なお金が集まらない。集まらなければ福祉にお金が使えない。それでも支出を増やすというなら、国債を発行してこの国の借金を増やすか増税するかしかない。しかし分配を言う政党に増税を合わせて主張する政党はないではないか。これ以上次世代に借金のつけを回すわけにはいかない。

 一方、お金持ちのところにさらにお金が回ってきてもお金持ちはそのお金を消費に回さない。貯蓄したり投資したりする。投資先は国内とは限らない、海外にもたくさん流れる。故にお金持ちにどんどんお金が集まるような社会では地域でお金が回らない。消費者が元気にならず地域が元気にならないから地域経済も元気にならず、社会の活力をつくりだすこともできない。大企業にお金が回っても労働分配率が低下している今、そのお金は株主への配当に使われるだけ。株主の多くが外国人。設備投資に向かったとしても、国内ではなく海外に向かう方が多いくらい。やはり国内にお金は届かない。貧困層にお金が回ると、もともとお金がなくて困っているのだから必然的にそのお金を地元で消費しようとする。それで地域経済が回って活力が出て、社会が発展する土台が整う。

 私の理解では、上が維新の会で下が立憲民主党の主張である。結局私はその二つのうちのどちらにしようか悩んでいて、そしてあいだをとって国民民主党にしようかなどとなやんでいたりする。この、維新と立憲のあいだに国民民主があるという見方が正しいのかどうかはよく知らないが、とにかくだいたいはこの三つの選択肢のあいだで悩んでいる。介護の仕事をしていてかつ、社会福祉の勉強もしている身としては、分配なくして成長なしという考えの方に親近感がある。ただ、素人考えでは、資源輸入大国である日本が今の社会を維持していくためには資源を買えるだけの外貨をきちんと稼がなければならないのではないかと思う。そのためには経済成長のほうを優先した政策をとる方がいいのではないかと思わないでもない。しかし……。

 格差の弊害ということも考慮に入れるべきだろう。まず成長というとき、規制緩和と民間活力の導入、自由競争という政策になるのだろうが、それらは結局、能力至上主義の結果の格差を個々人の自己責任に帰してしまう社会であり、そのような社会では、一部の有能とされる人々はその力を存分に発揮するかもしれないが、それ以外の人々が個々の持つ活力を十分発揮することがしづらい社会になるだろう。金持ちの言うことが正しくて、成功者の言うことが正しくて、なぜならそれらの人々は努力したから成功したわけで、そうでない努力もしなければ能力もない人々の言うことなど価値はない、そういう価値観に覆われた社会では、そもそも人々が声を挙げよう、動こうという気にもならない。北欧諸国の経済的な強さの背景には、労働者の実質的な経営参画権の存在やそもそもの労組の強さ、現場の運営の民主的あり方の徹底があるのではないかと思う。人が自分の持つ能力を十全に発揮するためには、自分が尊重されている、意見が安全に言える、有能感を感じられる、状況に影響を与えることができると感じている、などの条件が必要だろう。それらの条件が整うとき、人は大いにその発想を表現し、行動し、よりよいあり方を求めるようになる。やはり基本的人権の保障、社会権の保障や労働現場の民主的な運営管理と労働者の実質的な経営参画権の確保などが前提となるのではないかと思う。格差というものが、そしてその格差を正当化するものがそれらの条件を蝕んでいる。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?