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そごうの破綻が経済記者になる原点になったわけ

セブン&アイHDのそごう・西武の売却のニュースを見て、胸がざわついた。私にとって、そごうは原点の企業だからだ。

自分がなぜ経済記者になったのか、酔っぱらったついでに書いてみる。

「教師は向いていない」で方向転換

同じ物書きでも、たとえば小説家と記者とライターは全然違う職業だ。
私は明確に、記者になりたかった。それも経済記者だ。

小さいときから、文章を書くのは得意だった。それこそ少女小説を読み漁っていたことで、文章の構成力がついていただけだとは思う。体育のときは存在感ゼロだったが、読書感想文を書かせたら文集の巻頭に乗るような子どもはどこにでもいるだろうが、そんな一人だった。

幼稚園の頃から高校2年で進路を決めるまでは、「学校の先生になりたい」とずっと思っていた。しかし、父親に進路希望を話すと、「人に教えるのは向いていないと思う」と断言されてしまう。とはいえ、どう考えても文章力を生かせる仕事の方が人の役に立つだろうと思い、新聞記者になろうと決める。

実家のある関西からは出るなという親の方針で、関東圏への進学は全く考えていなかった。数学が致命的にできず、浪人も不可だったため国公立はあきらめた。

関関同立のパンフレットを学部ごとに大量に取り寄せ、3年以内に大手新聞社に就職実績がある大学の学部を調べた。ちょうど氷河期で採用を絞っていたということもあったのか、第一志望であった文学部には採用実績が皆無だった。立命館大の法学部にようやく実績を見つけ、受験。法学には全く興味がないまま進学したため、在学中は非常に苦労することになる。

そのミスマッチ体験がもとで、のちに再度大学に行くために会社を辞めるという事態を招くのだが、それはまた別の話。

経営破綻を「見る」

貧乏学生であったため、メディア志望者のサークルなどには入らず、バイトに明け暮れた。「社会勉強」とはよく言ったもので、大人になってからはなかなか関わらないような仕事もたくさんした。キタのカプセルホテルの深夜バイトなどは、まあいろんな大人がいるものだと思ったものだ。

そんなバイト三昧の大学3年生の時、自分の方向性を決定するような場面に出くわした。

2000年7月、そごうが民事再生を申請、その後事実上倒産した。テレビではそごうグループの経営破綻に関するニュースが連日報道された。

大阪の人間からすれば、心斎橋のランドマークといえばそごうと大丸であり、その一つがまさか倒産するとはつゆにも思わなかった。

大学生の私には、

「経営破綻とはどういうものなんだろう」

というのが、当時の素朴な疑問だった。

バイト先のパン屋が心斎橋のヨーロッパ村(アメリカ村の反対側にあるけれどあまり知られていない)にあり、ふと思い立ってそごうを見に行くことにした。

そこに広がっていたのは、百貨店の中で投げ売りが行われる光景だった。

経営破綻というのは、しんみりした、わびしいものだと思っていた。先入観で、もっと陰鬱な状況だと思っていたのだ。しかも、百貨店である。当時のそごうは多少庶民的な感じではあったはずだが、それでも「百貨店」の意地のようなものは感じられると思っていた。

しかし、現実は違った。

ここにある在庫を何とか現金化しなくては!という強い意気込みと、8割引き、9割引きという閉店セールに群がる客たちの熱気ある姿がそこにあった。

テナントの多くはお通夜状態だったのだろうが、セール箇所は「あれ?ここそごうだっけ?」と思うほどの異様な盛り上がりだった。棚も百貨店らしさは皆無。棚からびろーんと赤いPOPがぶら下がり、値引き率がでかでかと書かれていたような記憶がある。さながらディスカウントストアのようだった。

常に自分の目で

売場に行って初めて、はたと気づいた。

これ、ニュースで見たことない。

どんな事実も、自分の目で見なければ「本当のこと」はわからないのだ。もしそうであるならば、私は現場に行って、それを伝える記者になろう。

もちろん、政治や日々の事件を追いかけるのも報道の一つだけれど、このそごうの一件により、自分は企業の取材をしてみたいと思うようになった。

新聞社に就職しても、経済記者になれるとは限らない。どうしたらなれるのかを考えた末行きついたのが、経済誌の記者になることだった。

あのとき、そごうの社員の人たちは何を思っていただろう。百貨店に就職したとき、まさか旗艦店で投げ売りをする羽目になるとは思わなかっただろう。私はあの日、それを「見た」のだ。

記者にも色々いて、さまざまな取材手法があり、それぞれリスペクトしているが、私の取材のやり方はどこまでいってもあの日のそごうに行きつく。

今はSNSがあり、いろんな人が現場の状況を教えてくれる。だからこそ、それを確認すること、実際に見に行くこと、直接話を聞くことがとても重要になってくるように思う。

取材の過程で、思わぬところで苦しんでいる人と出会い、それを真実と信じて一緒に戦ったことも一度や二度ではない。見て、聞かなければ、書けない。

何年たっても学ぶことばかりで、経済記者と名乗っていいものかいまだに悩む日々だ。それでも、誰よりも現場の声を伝える記者でありたいと思っている。これからももっともっと取材をしていきたい。


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