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小酒井不木に触れて.2

※このnoteには『子不語の夢』(乱歩、不木往復書簡集)のネタバレが含まれます。

こんにちは。定食です。
小酒井不木についてパート2。今回は先日読了した乱歩不木往復書簡集の感想です。

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まず書簡集全体の感想だが、読み物としてとても面白い。
ノンフィクション作品を読んだことがなかったが、言葉や行動、実際に起こったイベントひとつひとつの厚みがこれだけあるのか、というのが率直な感想だ。

実在する人物の往復書簡を読み物として成立させているのは、やはり書簡につけられている脚注だろう。
出てくる人名、雑誌名、指示語の解説と、大変充実している。戦前探偵文壇や文豪に明るくない者でも、書簡集を不明点なく読み進めることが出来る配慮が行き届いていると思う。

また、それら解説的脚注の他に編者の解釈を多分に含む脚注も多く記載されている。
これらは、エンタメ要素を強める為のスパイスであり、それらを受けて同意するか否かは読み手に委ねる…と、あとがきに書かれている。
小酒井不木が晩年研究を再開し、指導をしていたことを「乱歩が構ってくれないので遂に青少年を集める不木であった」と書かれていたのは中々すごい解釈だと笑ってしまった。
(実際は『猟奇』の随筆『ペンから試験管へ』より、元から研究畑だった不木が環境を整え終わりウェイトをそちらにかけ始めたのだと私は思う。)

他に印象に残った脚注は不木が乱歩スランプ時に「名古屋に引っ越さないか」「顔を見せにきて欲しい」と頻回に手紙を送っていた心理についてだ。乱歩のスランプと近い時期に芥川龍之介の自殺が重なるらしく、医学について知識のある自分の近くに呼び寄せ万が一を回避しようとしたのではないかと記載があった。
上記の不木の発言について、賑やか好きの寂しさ故…程度の認識だったためこれは新しい見方だった。
真実は本人以外に知る由もないが、こうした歴史を鑑みながら当時に思いを馳せ、思考を巡らせる読書体験は素晴らしいものだと思う。


次にもっと個人的な小酒井不木ファンとしての感想だが、終盤が辛い。種々勿論見どころはあるのだが読後に重くのし掛かるのはやはりこの感想だ。
最後が辛いのだ。
それは、小酒井不木が死ぬことで、この書簡集は終わるからだ。1929年4月1日小酒井不木は39歳で息を引き取る。まだ若い。突然の死だったそうだ。ただ、作家活動を始める前(1919年 29歳)留学先で喀血し、作家業中も遠出が出来ない程、体を気遣っていたのだから、俯瞰して見てみれば決して意外な死ではなかったのだろう。

どうせ死ぬならと血を吐きながら留学先で探偵小説を貪り、寝てばかりでは気が滅入るからと体調が万全でない状態でベッドの上で『学者気質』を執筆する。その病身と思えぬ精力的な活動、探偵小説を大衆化するための数々の活動、それらが不木に力強い印象を与えていた。
書簡を読み進めるうちに、不木や乱歩の生きた時間を近くに感じ、知っている結末にも関わらず酷くダメージを負った。
辛い。

不木の死について考える際、毎回「何故こんなに早く亡くなってしまったのか」という問いにぶつかる。死因は宿痾ではなかったが、体が弱かったからには違いない。では、健康体だったならば!そう思考が行き着く度に
「不木が健康であったならば、作家として活動していなかっただろう」という結論に至る。

そうして、死を嘆く一方。
力強く生きた不木や、彼の作り出した作品へ…敬意と感謝を覚えながら悲しみを乗り越えていきたい。

最後に、この書簡集で国枝史郎氏に特に興味を抱いた。国枝氏と言えば乱歩と並び、不木が新青年等で手厳しい批評を受けている際、肯定的な文を掲載していた印象の強い人物だ。
そのイメージが強かったため、交流の初期に不木の家に堂々と訪れ不木と乱歩を高圧的に批判していたことには驚きを隠せなかった!

後の交流で傾倒と言って差し支えない程、不木と密になるのだから、事実と言うのは小説と負けず劣らず面白い。(氏の作品もこれから沢山読むつもりだ。)

また、そのような国枝氏を虜にしてしまう不木の人柄よ。改めて、不木は好ましい人物だ、と感じるばかりだ。
書簡を読むと感じる、偉ぶらずむしろ人懐こい、それでいて母のような世話焼きさを持つ不木という人物…。


感情のままに書いた感想になってしまったが、こんなところで締めたいと思う。


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