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あらためまして、はじめまして。

こんにちは!
さおりーちです。

ここいらで改めて
自己紹介noteを書いてみようと思います。

プロフィール

名前   :生沼紗織(おいぬまさおり)
出身   :東京都八王子市
生年月日 :1987年12月24日
星座   :山羊座
血液型  :A型
動物占い :クロヒョウ
六星占術 :木星人(-)霊合星人
性格タイプ:ENTP-A(討論者)

総じて理屈っぽい気分屋、みたいな事がよく書かれてます。
麻雀や人狼が好きなわけだよね。

幼少期~小学校

ふくふくと太ったまんまるのおもちでした。

母の影響でリトミックに始まり幼少期からピアノを習っていたので、
絶対音感があります。
と言っても、ドレミファソラシドのどの音が鳴ってるかわかる程度。
和音とかになるとあんまりわかりません。

小さい頃からカラオケが得意で、両親が歌う歌謡曲などは、
一番を聞けば二番を一緒に歌えました。

幼稚園時代の忘れられないエピソードは、
知的障害のある子に階段のところで壁ドンされて
顔を舐められそうになった時に
「この子はなんもわかってないから怒っちゃいけない」
と思ったことと、
園庭で遊び終わってみんなで手を洗う時に
どんどん友達を前に入れてしまって一番最後になってたこと。
あと泥遊びが嫌いでした。爪の間が汚れるから。

ジャングルジムとブランコが好きで、
運動神経が皆無だったので鉄棒は前上がりもろくに出来ませんでした。

小学校は一学年50人未満の小さな学校で、
至極平和に過ごしました。

小学二年生の時に授業で絵本を書いてから、
物語を書くことにハマって
ノートにストーリーを書いて、友達に挿絵を描いてもらって
交換日記のように続けてました。

小学四年生になった頃には、
『ポケモンカード』や『遊戯王カード』に影響されて、
オリジナルのカードゲームを友達と作って遊んでました。
もちろんポケモンカード本体もやってたんですが、
自分たちで技名とか考えて、
ゲームバランスなどを考慮して新カードを作っていくのは
めちゃくちゃ面白かった。

絵がうまい男の子が描いたカードはほんとにカッコよくて、
カードをもらう代わりに、勉強を教えたりしてました。
ああ、酸っぱい。甘くない。酸っぱい。

中学校~高校

中学に入り、自分の壊滅的な運動神経を何とかしようとバスケ部に入部。
学校の中でも一番勝気でエネルギッシュな子が入る部活で、
私はいつもついていけず最後尾でした。

陸上部より走り込みをしたかいあって、
学年内ビリの運動神経は多少改善され、
長距離走では上から数えられるほどになりました。

人間やれば多少どうにかなる、という手応えは
人生観の一つになってます。

高校受験は志望校は落ちたものの、
少女マンガから出てきたようなマンモス校に入ることになりました。
校則が
「上履きを履くこと」
「指定ジャージで体育を受けること」くらいしかなく
みんな好きなカッコをして学校生活を謳歌してました。
髪の毛の色毎週違う子とかいたもんな。
偏差値も入学時で65くらいあったので、いわゆる不良的な子はおらず、
たまにトイレでタバコの吸殻が見つかって問題になる程度で
マジの平和でした。
ピンフ。

大学1~大学2

そんなピンフの里でぬくぬくと生きて、受験時。
附属高校だったので大学進学は確保されてましたが、
併願受験というかたちで美大を受験しました。

元からクリエイティブなことにはもちろん興味あったのだけど、
なんで美大を受けたのかは未だによくわかりません。

本能的に大規模な選択をして、あとから考えてもよくわからんことが
私の人生にはよくあります。
今まさにそれです。

自己推薦入試という、「あたしこの大学向いてる気がするんです!」という自信で受けられる推薦入試で合格しまして、
十代のキラキラした自信のみで大学進学しました。

そして入学直後から、自信は大きく崩されることになります。
カラ元気ならぬカラ自信なのだから当たり前です。
私は「映像演劇学科」というところに入ったのですが、
作りたいものを見極めて、納得できる形にする、って、
控えめに言って激ムズでした。
映画を作る才能って必要な能力が果てしなくて、
ものづくりだけじゃなく人を動かす現場能力も必要で、
私は全体的に全ての能力が足りませんでした。

三年生の頃、環境を変えたくて京都の大学に編入学しましたが、
学科のクラスには馴染めず軽音部に入り浸り、
卒業制作の撮影中で一晩のうちに
パトカーと救急車とタクシーを呼ぶ羽目になり、
パトカーを呼んだことを教授に怒られケンカし、
夜な夜な京都の雀荘を徘徊しては、
負けて泣きながら夜風に身を切られ自転車を漕いで、
一乗寺のアパートに帰ってました。
そして極めつけ、3.11の日に寝てて留年しました。
どう見てもまともな大学生ですね。

バンドばっかやってた。
右はつけ毛じゃなくて地毛。ずっとアシメでした。
これも京都で組んでたバンド。
白衣フェチなんです。
卒制。すっぴん。
緑だったこともあります。

そして就活。
私は自分のことをアピールするのが
ほんとーに下手です。
いま麻雀界では『自己プロデュースがだいじ!』と言われて
おっぱいを出すの出さないので大討論がおきてますが
私は私を素材としてあんまり魅力を感じてないというか
自分のことになると客観的な動きがとれなくなる傾向にあり
課題だなーと思ってます。

今ですら課題なのですから、
当時もうまくできたはずがありません。

行きたい会社ではなく入れる会社に
なんとなく入ろうとしてた矢先に
単位を取り落として半年留年し
内定も取り消し
→別会社に入社
→その会社が大成長しちゃう、という
運王を発揮しました。

私、守護霊が強いんだと思います。

会社員

はじめはデザイナーとして採用されました。
配属された部署で自社アプリのUIデザインなどをさせてもらいました。

もともとWebデザインは中学の頃からやっていて、
大学の頃にもフリーで案件受注とかしてたので、
「できる」ことにチャレンジさせてもらって
「できた」をたくさん経験させてもらいました。
新人の時代にこれをやらせてもらえることが
どれだけ幸運かは後に知ることとなります。

ピアスあいてたこともあります。

その後、プランナーに転向し、
ソーシャルゲーム黎明期を駆け抜けました。
毎月1日をまたぐ0時は会社に集合して
売上やガチャの監視をする日々。
今もやってる人には、本当に頭が下がります。

そんな中、ある日ニコ生を見ていたら、
藤田社長が最強戦の著名人戦に出場するのを目撃し、
仰天しました。
しかも勝っちゃうし。優勝しちゃうし。
なんかすごいことが起きた!!!!と
興奮しながらFacebookに投稿するも
当時は社内中誰もピンと来ておりませんでした。

そこから麻雀企業対抗戦と称して
社長の凱旋にくっついていく形で、
様々な企業の方々と対外試合をしました。
電通・博報堂・SEGAなどのMリーグのオーナー企業や、
講談社・LINE・GREE・DeNA・文藝春秋・伊勢丹など
とにかくいろんな大企業様と試合が組まれました。
しかも、だいたいの人が取締役以上で、
私は恐縮しまくっていました。
いい経験と言うにはあまりに夢のような日々でした。

この企業対抗戦はタイマン形式からリーグ戦形式になり、
現在20社以上の企業が参加して、日々しのぎを削っています。

そんな頃、AbemaTVができて、
麻雀chのプロデューサーにならないかと打診がありました。
インターネットのテレビ局を作る、という大きな命題のもと
社内中から優秀な人ばかりが集められている中、
私は完全に上記の流れの麻雀採用だったため、
ここでも力不足でした。
誰かに頼ることも、根回しをすることも、折衝をすることも、
なかなかうまくできず、孤立していきました。
気づけば麻雀chからは外され、特番周りを担当することになり、
その特番も不安定で緩急が激しく、
体力もそんなにない私は食らいつくので必死という感じでした。

最強戦でAbemaTVの麻雀チャンネルを宣伝する私。

その後、新規事業をやるからプロデューサーをやらないか、と
別の子会社の社長をしている先輩から声がかかり、
社内転職しました。
しかしここでもうまくいかず、心身ともに体調を崩し、
今に至ります。

麻雀プロ

AbemaTVから完全に離れると決めたとき、
自分の中の麻雀を見つめ直してみました。
Mリーグも始まったばかりの頃でした。
大学生の頃に覚えた麻雀を、ほそぼそと続けていたけれど、
社内のリーグ戦や企業対抗戦で打った競技の麻雀は、格別に楽しかった。

もっと強い人と戦って強くなりたい。
これからの麻雀界を、もっと面白くしていきたい。
そして、一生麻雀を打ち続けたい。

そうだ、麻雀と結婚しよう。

ということで、プロ試験を受けました。

入会時の小論文では、「おばあちゃんMリーガーになる」と書きました。
今もその志は変わらないです。

会社を辞めるときは、
「いつかABEMAに選手で映ります」と言って出てきました。
たくさんの麻雀プロがABEMAに出ることを夢見て活動してますが、
私が出る意味はちょっとだけ違います。
私の人生においては、ちょっとだけ違うんです。
もしその日が来たら、どうかご注目ください。

これから

気づいたら半生記を書いてしまいました。

運だけは本当によく、
肝心なことはいつも本能で決め、
理想を抱いては挫折し、負け続け、
まだまだ能の足りない女。
それが私です。

ただ、自分と自分の運には信頼があり、
しばらく休んでも、
いつかはまた
なにかに挑戦しようとするんじゃないかな、と期待しています。

その時はぜひ、応援よろしくお願いします!

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