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【朝日新聞ポッドキャスト】 AIとジェンダー を聞いたあとの殴り書きメモ

先日、下記リンク先記事に紹介されているポッドキャストを聴きました。
https://digital.asahi.com/articles/ASNBJ4TVYNBJUEHF003.html
その感想をここに書きます。

ジェンダーレスボイスが実用化されること自体は楽しみです。男声と女声の両方を実装するよりコスパが良いなら、いつか標準搭載の声が全てジェンダーレスボイスになってもおかしくないと思いました。

ところで、スズメのメスは繁殖期になると雛のような鳴き声を発します。雛の鳴き声は親スズメの庇護欲を刺激しますが、同じように繁殖期のメスの声もオスの庇護欲をかきたてているようです。スズメは雛のような声を、親の気を引くためとオスの気をひくための二つの用途で使っているのですね。

これは他の動物でも見られる習性です。パートナーを引きつける声は、同時に子供が親を引きつける声でもあります。
もし人間に敷衍して当てはめることができるのなら、女性らしいとされる高音域の声は、人間の子供の高音域の声を模倣したものと言える……かもしれない。系統発生的には模倣というより同時に進化してきたというべきか?もっと正確に言うなら、男性の声が庇護欲をそそらない低い声になったと表現すべきなのでしょうか?【要出典】よく知らない!


AIアシスタントの音声に女性の声が使われがちというのも、本をただせば人間が高い声を好ましく感じるという習性があって、人々がより親しみやすい声質を求めていった結果そうなった、とも言えそうです。

googleがどういう意図でアレクサの声を設定したのかは分かりませんが、聞き取りやすく、耳で誤認しにくく、人に好かれやすいという選考基準で音域を絞ったのは確実です。確実だよね?確実なのかな?

その中に、アナウンスは女性の仕事であるとか、ハウスキーパーは女性の仕事であるといった偏見が混じっていることは否定できません(ちなみに私の受付スタッフのイメージは男性でした)。次世代の偏見の助長になるという問題点も理解します。

しかし、スズメのメスが求愛手段に雛っぽい声を選んだように、AIアシスタントの声に高い音域が選ばれた理由が女性らしさには直接関係のないものであるとすれば。高い人口音声を女性の声だと決めつけるのもそれはそれでジェンダーに捉われた価値観ではないでしょうか。

もちろん、今回の話はSiriやAlexaのように明確に「女性」と設定されているものへの指摘なので論点が異なることを理解しています。そしてセクハラをまるで容認する様な応対は別問題です。私も歓迎しません。しかし男性キャラにも似た受け答えが用意されていたとしたら、非対称性という面では問題は無いように思います。後、いつもひっかかるのですが、発案者をオッサンだと決めつけるのはオッサン差別だと思います。女性にもオッサン的な発想をする人は多いです。オッサン(概念)は遍在するから…


高い人口音声を女性の声だと決めつけるのはジェンダーに捉われた価値観ではないか…

成人女性の声の特徴は社会的に植えつけられた偏見ではなくて、生物学的な事実なんだから、高い声を女性と決めつけても問題はない、そんな反論がパッと思い浮かびました。しかしどうなんだろう。たとえ「女性の声は傾向として高い」が統計的に有意な差が認められる事実だとしても、昨今は特に「女性」の指す範囲が曖昧だし、「女性」という概念がそもそも社会的な文脈によるのだから、何が女性的で何が非女性的なのか、口にするだけでも偏見の表明になっちゃう気がする。

後天的に形成された性差をジェンダーと呼ぶのなら、「男性」「女性」という区分も既にジェンダーなのではないかといつも疑問に思っています。本件の「女性」を政治的に正しく言い換えるなら「Y染色体をもたない人」とか「SRY遺伝子が発現していない人」とかになるんじゃないでしょうか?ジェンダーを取り扱うトピックなのに、安易に性別を匂わす言葉を使うなんて迂闊だなぁといつも思う。性別に拘らずに、もっと生物の機能的側面に視点を移した方がいいんじゃないの、と思う。声の高い人、とか。声帯に筋肉のつきにくい人、とか。それじゃ性差別の議論ができなくなるのか。難しいな。男女平等が達成された後にしかジェンダー平等の話はできないのかね?

統計学的な事実であっても、その統計学的な差が文化に由来していて、後天的に発生したものであればジェンダーと定義されると私は理解していました。
近年、LGBTへの理解が進み「女性」の定義も変わってきています。
Y染色体を性染色体に持っていても男性とは限らない。形態的に女性であっても女性とは限らない。「性自認に関わる脳の部位」が性別を定義するようになりつつあります。


私はAIアシスタントの声を女声だと意識したことはあまりなかったように思います。機械音声によくありがちな、音域は高いが低く響いて性別不詳の無味乾燥な声だと認識していました。今、Siriの男女両声を聞き比べたところ、思っていたよりも両者の違いがはっきりしており、だいぶ色のついた女声だと再認識しました。

私は、私のイメージの中の中性的な人口音声にひっぱられ、Siriも当然中性的な声に違いないと思い込んでいたようです。機械音声と聞いてすぐに頭に思い浮かぶのは、いわゆる「ゆっくりボイス」みたいな奴です。

今調べて知りましたが、ゆっくりボイス、SofTalkに搭載されるAquesTalkは人の声を収録せず、ゼロから作った合成音声でした。日本のネット文化には、ジェンダーレスな音声がとっくの昔に根付いていたんだなあ。

ゆっくりたちに性別という概念があるのか微妙ですが(ゆ虐で出産してたのを見たけど雌雄同体なのかな?)元ネタは女性キャラです。しかし、あれを女性の声と感じるかどうかは、かなり意見の分かれるところだと思います。私は芋づる式に、それによく似た響きを持つSiriの声も中性だと感じるようになったのだと思います。

なんとなく高い様な耳心地の良い声があって、それは性別不明と思っておくのがニュートラルな価値観なのではないでしょうか。

ニュートラルな価値観は社会の現状維持につながり、現状維持バイアスとかなり近しいという問題は確かにあるのですが、ニュートラルであること自体を非難されるのは世知辛いと思います。

高い声だからといって女性だと決めつけ、低い声であれば女性ではないと決めつける感性は、昨今の多様性と寛容の精神の名のもとに非難されて然る感性でしょう。声の低い女性は非女性的なのでしょうか。声の高い男性は女性的なのでしょうか。


斯様に、正しさとは別の正しさと衝突する運命にあるのですが、多くの人はこの類の衝突を見たとき、「●●という理由でこれは差別に当たらない」とか「これはしても良い差別。良い差別だ」という反応を返します。私はこれはよくないと思います。差別心は誰の心にもある人間の本能です。そして、自分の心にしまっているうちは自由ですが、外に出せば必ずどこかの誰かが傷ついています。

昨今のリベラリズムでは、AI音声が女性の声ばかりだと女性下位社会の表れだと非難が出ますが、
AI音声が男声ばかりだと男性下位社会だとは分析して貰えず、
むしろ女性に対する職業差別、男性上位社会の表れだと分析する非難がでるでしょう。これはおかしいです。
私は学びました。そもそも下位とか上位とかではなくて、多くの人が得をする構造で現状バランスは落ち着いているのだと。損をする少数が数を増やし声を上げることでバランスは崩壊し、ドミノの大きなうねりとなって差別という最後のピースをうち倒すのだと。

アファーマティブなアクションもときには必要でしょう。
方法によるけれど不要なものとは思いません。
しかしそれは社会に容認された性差別と同義。
女性専用車両は現状必要不可欠なものですが歴とした性差別ですし(満員電車は都市計画の失敗です。痴漢の行為そのものだけでなく、痴漢がなぜそこで頻発するのか、構造にもっと皆が目を向けてほしい。)、レディースデイがどれだけ映画館の救世主であろうと、LGBTQジェントルメンズデイがない、それぞれにデイがないことは性差別。ていうか人を属性でくくるのがそもそもの差別。

同じ属性でくくられて判断されて、不利益を被ったとき、それは差別だと聞きました。差別と区別の判断基準は、された人が不快であるかどうかだって偉い人が言ってた。私は大いに不快です。レディースデイ肯定の主な理由を男女の収入格差に求めるのなら、ピンポイントで明確に冷遇されてる層がいるよね。そう。男子大学生。社会人のように女性より給料が高い傾向はない。子供料金では入れない。高齢者割引は使えない。こんなにも私は映画を愛しているのに。差別はある。差別は人を傷つける。差別はなくならない。だから対策をしよう。そういうものに私はなりたい。

【追記だ】
ニュートラルというのは(自分の尺度で)ニュートラル、という意味なので、どこまでいっても相対的なものにしかなり得ず、絶対的なニュートラルポジションなんて幻想だと考え直しました。ヒトが自分が恩恵を得ているシステムをわざわざ解体する方向に動くとは考えにくいし、損をして初めてリスクをとるようになるのが人間だと思うので、「ニュートラルでいることが素晴らしい」という価値観は危険でしたね。ある程度いろんな意見を取り入れる柔軟性、バランスをとろうという意思、くらいにします。

【さらに追記(2020/12/8)】
いろんなことが相まって、レディースデイが無くなっていってる……?僕がもし女性の立場なら、一抹の寂しさを覚えるかもしれない。みんながハッピーな世界になれば良いなあと思う。

【参考文献】
全て僕の主観と印象論、妄想。

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