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私は傷を愛せるか
宮地尚子先生の「傷を愛せるか」を読んだ。
哀しみを抱えていても傷を愛せるか。
心の傷にもいろんな傷がある。
傷は痛い。そのままでも痛いし、さわられると、もっと痛い。
傷を愛することはむずかしい。傷は醜い。傷はみじめである。直視できなくてもいい。ときには目を背け、見えないふりをしてもいい。隠してもいい。
ただ、傷をなかったことには、しないでいたい。
単純な見方ではあるけれど、自分の腕の傷に重ねた。
私の腕には数え切れないほどのリスカの痕がある。
でも私の腕の傷はただのリスカの痕ではない。
自分で傷つけた傷でもあるし、
傷つけられた傷でもある。
確かに醜い。汚い。恥ずかしい。
そんな傷跡を、
今は受け入れることができるようになった。
恥ずかしくなんかない。
誰かに殺されないように、
自分を殺さないように、
そんな生き延びるための傷だから。
傷がそこにあることを認め、受け入れ、傷のまわりをそっとなぞること。身体全体をいたわること。ひきつれや癖痕を抱え、包むこと。さらなる傷を負わないよう、手当てをし、好奇の目からは隠し、それでも恥じないこと。傷とともにその後を生きつづけること。
たくさん傷ついてきたんだね。
いっぱいいっぱい痛かったよね。
そんな言葉をいつかかけてあげられるようになってみたい。
私はこの傷痕たちと生きていく。
今までも。
そしてこれからも。
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