見出し画像

阿修羅 | 「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図<改訂版>一部転期

「電通」と自民党・公明党・CIA、「電通」を取り巻く、日本でいちばん醜い利権の構図<改訂版>

(第1章)「電通」と自民党・公明党・CIAの歴史


1895年(明治28)

11月、瀬木博尚によって教育雑誌の広告取次店として「博報堂」が創業。 
社名の由来は、瀬木博尚の経営理念「博く、華客に奉仕報酬する」から付けられた。

1901年(明治34)

広告代理業「日本広告株式会社」の併設機関として、通信業「日本電報通信社(電通)」を創立。

≪黎明期の「電通」≫


http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-September/003431.html

1935年(昭和10)の2.26事件が起きる前年、吉田秀雄は上海に渡り、排日運動が熾烈を極める中で、邦字新聞、日系漢字新聞など、中国市場の媒体の殆どを電通扱いにしている。

この吉田秀雄の快挙の背後には、当時の中国市場、ことに情報機関を完全に掌握していた日本軍との、何らかの連携があったに違いないが、そのあたりのことは、現在の「電通」幹部は、全く知らないようだ。
ただ一つ、はっきりしているのは、この時、上海で吉田秀雄は、塚本誠なる人物と懇意になっている、ということだ。

この人物(塚本誠)は、戦後、吉田秀雄に迎えられて「電通」に入社し、取締役になっている。(1975年8月死去)

塚本誠は、元憲兵大佐であり、戦前は、上海で有名な影佐禎昭大佐の「梅工作機関」など、いわゆる特務機関と連携し、或いは、特務機関の束ね役として、反日運動などの弾圧の指揮をし、汪精衛の南京政府づくりの舞台裏でも活躍したようだ。

実は、吉田秀雄が上海で塚本誠(岸信介と同じく、A級戦犯だったがGHQによって釈放)と懇意になったのは、
こうした時代、つまり塚本誠が、中国市場の情報関係の人間たちに絶大な力を持っていた時代なのだ。

尚、塚本誠は、東条英機が政権をとると憲兵特高課長に迎えられているが、
一方では近衛文麿と、彼をとりまく学者、ジャーナリストたちとも親しく、憲兵特高課長という顔の他に、ジャーナリズムとの根回し役も務めていたようだ。

この時代、吉田秀雄は、「読売」の正力松太郎、「同盟」の松本重治、「毎日」の吉岡文六、田中香苗、そして、「朝日」の団野信夫、宮崎世龍などと懇意になっている。

1936年(昭和11)、2.26事件が起き、日独伊防共協定が締結されるなど、日本が、破滅への途を選んだ運命の年だが、「電通」にとっても、大きな選択を、それも無理矢理に強要された年だった。

報道管制が行われ、日本政府、そして日本軍は、報道調整という言葉を使った。
報道を掌握するには、情報チャンネルの一元化が必要で、そこで先ず、新聞に内外の情報を提供する通信社を統合して、単一の国策通信社をつくることを考えたのである。

国家にとって都合の悪い情報は遮断する。情報整理、そして情報操作。
1936年(昭和11)1月、政府は、地方新聞など反対派を強引に封じ込んで国策通信社である社団法人・同盟通信社を発足させた。そしてこの時から、「電通」は、通信社部門を失い、広告代理行専業の会社になったわけだ。


1906年(明治39)

「南満州鉄道」設立(初代総裁は、後藤新平)。

後藤新平は、現「NHK」の初代総裁であり、正力松太郎に資金援助し読売新聞を買い取らせた人物であり、通信社を独立させ、翌年には逆に通信社が広告会社を合併。
「電通」はこの年、ロスチャイルドと関係の深い「ロイター(1871年、既に長崎・横浜に支局開設)」と契約。

1907年(明治40)

「満鉄調査部」設置、米国に創立された「UP(現在のUPI)」と契約。


1931年(昭和6)

満州事変が勃発

→注.謀略で起こされた満州事変とメディア(「満州国通信社」)
pdf http://maechan.sakura.ne.jp/war/data/hhkn/08.pdf

1932年(昭和7)

満州国建国。国策通信社「満州国通信社」初代社長には、里見甫(さとみはじめ)が就任。

里見甫は、裏社会とつながりがあり、満州国高官だった岸信介の命によって、アヘンの密売であげた巨額の利益を、関東軍の資金にする犯罪行為の一端を担っていた人物。

満州国通信社」は、当時の軍国主義下の国策通信社であり、その阿片マネーから、児玉誉士夫笹川良一といった人間に繋がり、阿片を利用し戦争指揮をとった東条英樹、「満州は、私の作品」と豪語する岸信介、そして、日本の右翼勢力とも元々密接な関係があり、更には、中国の裏社会(マフィア)との繋がりもあった。

1934年(昭和9)

後に「電通」第4代社長に就任する吉田秀雄は、上海にて中国進出し、中国市場の媒体の殆どを「電通」扱いとした。

1936年(昭和11)

「日本新聞聯合社(聯合)」と「電通」の通信部門合併により、「同盟通信社」を設立。
その際、「電通」の広告部門は、「日本新聞聯合社(聯合)」の広告部門を吸収し、広告のみを扱うという現在の姿の原型が完成。

同年10月に、岸信介が、満州国の国務院(満州国における行政機関。満州国は議会を持たなかった為、国政の最高機関であった)の実業部総務司長に就任している。


1945年(昭和20)

敗戦に伴い、「同名通信社」は解体され、政治、社会、一般ニュースを扱う「社団法人共同通信社」と、経済報道を扱う「株式会社時事通信社」に分社化。

しかし現在では、「共同通信社」、「時事通信社」、「電通」は株式を持ち合い、設立当初の寡占状態を回復している。


1947年(昭和22)

吉田秀雄が「電通」第4代社長に就任。
この頃から、「日本電報通信社(電通)」は、戦前の準特務機関としての性格を生かし、政府・GHQに食い込むことに成功する。

吉田秀雄は、戦犯として公職追放された政財界人、満州や上海から引き上げてきた旧軍人、「満鉄(満鉄調査部、満州国通信社)」関係者などを大量採用し、これが、「電通」が“満鉄調査部の後身”と言われる所以である。
当時の電通ビルは、“第二満鉄ビル”と呼ばれていた。
彼らは、広告のノウハウは無かったものの、実質フィクサーとして活動し、現在の日本支配の礎を築きあげていった。
また、吉田秀雄はこの頃から、米国式広告=“プロパガンダ”手法を導入。

hukuコメント

この内容は、永久保存版だと勝手に思っています。阿修羅掲示板さんに投稿されたものです。

まだ、続きがありますが…。
どうやって、日本のメディアが出来たのか?を知ることで(一時期、敗戦により、彼らの力は剥奪されたようなのですが、時間をかけて取り戻しています。)いかに国民は情報操作により、コントロールされているか?ということが理解できるんじゃないかと思います。

ここでも説明されているように、ロイターはロスチャイルドと深い関わりがあるとされています。この情報は、いろいろな所で見つかる情報かと思うのですが…。

話は変わります汗
先ほど、たまたまTwitterで面白いツイートを見つけたのですが。
この情報に登場している、笹川良一、ロックフェラー、ジョージ・ソロスの顔比較ツイートですが…驚きです👇

こちらで紹介させてもらった情報の続きは、こちらです。タイトルにある、CIA関連については、もう少し先となります👇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?