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アトピーで初めて泣いた思い出

私は、アトピーに関して高校卒業以前の記憶がほとんどありません。それはたぶん、その時まで自分の意思で、選択で、アトピーと向き合ったことがなかったからだと思っています。

そんな私がアトピーのことで初めて泣き、それがきっかけで自分の意思でアトピーと向き合い始めた思い出話です。

高校卒業後、晴れて志望していた大学に入学したとほぼ同時に、ステロイド剤等の皮膚科からもらう薬の使用をやめて、母が口コミで聞いてきた関西にある漢方医の病院に行きました。

当時実家を離れ一人暮らしを始めていたので、病院の最寄りの駅で母と落ち合いました。その時は何も言わなかった母ですが、下を向いて待合わせ場所に立つ変わり果てた娘姿を見てショックだった、と聞いたのはそれから数年後のこと。

さて、そこは有名な病院のようで、待合室はいっぱい。小さな町からでてきて、「世の中にアトピーの人ってこんなにいっぱいいるんや・・・」とどことなく不思議な気持ちになりながら診察を待ちました。

10代だった私から見るとおじいさんに見えるくらいの先生は、どこか豪快な雰囲気で、自信に満ち溢れ、大きなエネルギーを持つ方でした。
初めての診察。恐る恐る椅子に座った私の状態を見ると、
「よう頑張ってきたなぁ!えらいなぁ!辛かったやろ?」
との言葉。

「病院の先生」から、そんな言葉をかけられるなんて思ってもおらず、
気が付いたらその瞬間号泣していました。泣いている自分にもびっくりしました。

「あぁ、私、辛かったんや。」と初めて認識したというか、ふと我に返ったというか、とにかく張りつめていたものが緩んで涙が止まりませんでした。
小さいころからアトピーであることが当たり前で、それに対する感情をずっと無視していたのかもしれません。

そして、「泣いてもいいんだな」と思った瞬間でもありました。

先生は、しばらくの間自由に泣かせてくれました。
「もう大丈夫やで。一緒に頑張ろうな。」
と言ってくれました。

そのあと、どれくらい通院したのかは覚えていないのですが、そんなに長くはなかったと思います。この話も先日、母との会話の中で思い出したことで、最近まで記憶の隅っこの正直なところその時まで忘れていました。
けれども、泣かせてもらえたことは私にとってとても大きな意味があったのだと思います。ずっと見てこなかった感情に気づけたこと、あの後確かに「よし、頑張ろう。」と思えたこと。

症状が辛すぎて泣く、挫けそうになっては泣く、泣きたかったらとにかく泣く。そうやって泣いては気持ちを少しリセットして再び前を向く、を繰り返して今日までやってきたように思います。

久しぶりに病院のウェブサイトを見てみると、どうやらその先生は現役引退されたようでした。直接お伝えすることは叶いませんが、先生どうもありがとうございました。

余談ですが、「泣くという行為」は、結構なエネルギーが必要です。本当に弱っている時は案外泣けないものです。泣くことも、生命力の現れだと思います。

いつだったかどこかで目にした、
『「死にたい」という言葉には「生きたい」という感情が隠れている。』
といった意味の一文が心に残っています。
もしかすると「泣きたい」の裏にも「笑いたい」があるのかもしれません。

あの時私が病院で泣いたのは、心のどこかで「アトピーと向き合いたい」「乗り越えたい」「笑いたい」という感情が存在していたからこそだったのかもしれないなと思います。

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