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自伝15
一人暮らしとなった俺は高校2年生になりました。
貧乏生活の始まりはじまりぃ
うちの高校はバイト禁止でしたが、バイトしないとやってられないので、ヨシヒロのコネで大陸飯店という中華料理屋でバイト始めました。
まかないも付いてるので最高です。
しかし。昼飯が問題でした。もちろん高校なので、給食はありません。弁当か。売店しかありません。学食はその当時存在しませんでした。まぁあっても買う金なんてありませんがね。
ヤマオのおかげで市民権を得た俺はある作戦を結構しました。
メタルギア作戦
すいません。この作戦名は今思いつきました。
要は現地調達です。
弁当箱だけ持って行くんです。
昼飯の時間になったら、1組から5組まで練り歩き。
ねぇねぇ。嫌いなもの入ってない?残したりする物ある?俺代わりに食べるよ。
と聞いて回り。
弁当を完成させる訳です。
一つ断っておきますが、
決してイジメではありません。どちらかと言うと、救世主です。
こんな事を書くと、世の中の親御様が怒ってしまうかもしれませんが、メタルギア作戦は、失敗した事はほぼありません。どちらかと言えばかなり豪勢な弁当が完成します。
結構居るんですよマジで。
量が多すぎる
嫌いなものが入ってる
今日は弁当の気分じゃないから売店でパン食う
そういうセレブ共からおこぼれを頂いてました。
需要と供給です。
冷静と情熱の間です。
しばらくすると、メタルギア作戦をあまりする必要が無くなってきました。
スポンサーがつき始めたんです。
俺の分のおにぎりまで握ってくれる親御様が登場しました。その有り難い神様の名前は。
高橋 怜史の母
高橋 一江子です。
俺の高校生活の胃袋を満たしてくれたのは、一江子さんと言っても過言は無いです。
ちなみにカズエコと読みます。
絶対間違えるんじゃねぇぞ貴様ら。
ま、しかしながら、順調に俺は高校に行かなくなりました。行っても、昼飯前に出社して、昼飯後には退社してました。
一江子さんすみません。
次回はヤヨイにタバコ見つかった時の話をしようと思います。
つづく
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