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はじめてのマーダーミステリーで改めて感じた自分の話

先日はじめてマーダーミステリーというゲームをやった。いわゆるマダミスと呼ばれているやつ。

マダミスっていうのはどういうゲームかというと、参加者各々にはキャラクターが割り当てられ、シナリオ中で事件が起こるのでその中で誰が犯人かを推理するゲーム。
プレイヤーの誰かに犯人が割り当てられててその犯人はいかに上手くかわすか、他の人はいかに当てるかがというゲームだ。

平たく言えば人狼ゲームのロールプレイ強いバージョンって感じかな?

一応それ以外にも各々のプレイヤーにも隠し事があって、それを守りきれば加点(減点)になる要素はあるんだけど
シナリオの本筋はあくまで犯人は誰だ!?という話なのでそれ以外の要素は犯人役も楽しめるような救済のためと、あとは参加者間での順位づけのためだろうか?
まぁぶっちゃけあんまり興味は向きにくいとは思うw ここはシナリオによるのかな?

マダミスというゲームは作家が作品を作ってそれを買うことでプレイできるゲームだ。
だから何の作品をやったかを言うまでは良いが、発言には注意が必要。

だってそのゲームの犯人が誰だ、どんなトリックだと世間に広がった時点でその作品は世界から死んでしまうから。
犯人はヤスとかミキモトとかは知ってても楽しめるかもしれないけどこれはそれよりもクリティカル。

その点で言うと犯人を知っててトリックを知ってても何度も楽しめる古畑任三郎は神である。観覧車が邪魔で時計が見えないんだよ

で、やってみて思ったのが「あ、このゲームぼくには合わないわ」ということ。
当たった役割は犯人役だったわけなんだけど、これはもう運だからしょうがないけど出会いが悪かったなぁって思ってしまう。

犯人役はいかに自分に目が向かないようにプレイする必要があるんだけど、ゲームのシナリオ上、全ての証拠が揃うと犯人に目が向きやすくなるようにできている。
そりゃそうだよねそうじゃないとガチ推理ゲームだ。
なのでそこ自体はいいんだ。

問題は、自分が「嘘つくのが楽しくない」という点だった。
いや、正確に言うと「嘘ついて自己弁護するのが楽しくない」というところかな?
嘘をつくのは嫌いじゃないし嘘はもちろんたくさんつくのよ人間だもの。

でも、じゃあいざ詰問された時に「そう思うならそれでいいんじゃない?」と思ってしまうところがある。
これはプライベートでもそう、というよりプライベートがそう。

そもそも自己弁護をする気持ちがあんまりない。
嘘に対して事実で争うことはあるけど、それ以上の他人の考えは知ったこっちゃないのよね。変えれるわけじゃないしね。

だからどうしても熱が入らなくて「ふーんじゃあそれでいいじゃん」となってしまう。
人としても良くないだろうけどゲームプレイヤーとして最悪だよね。なんか申し訳ないことをしたなぁ。

そういやちょっと前にも同じことを感じたことがあった。
宇宙人狼ゲーム「among us」が流行りだした時だ。
あのゲームも1、2回やったんだけどダメだった。
インポスター役をやる時がまさにそんな感じだったなぁ。

あれは一応ビデオゲーム的な部分もあるからどうやってバレずにキルするかという手先のテクニカルな部分は楽しめたんだけど
ディベート的なタームになると全く楽しめなかった。
僕の中では嘘ついてまでなすりつけたいという気持ちが沸かなかった。
ゲームプレイヤーとして失格だね。

なのでそれに気づいてからはamong usは全く遊ばなかった。
今回のマダミスは同じことを感じたなぁ。
ちょっと悪いことをしたね。ごめんなさい。

自分のことはある程度わかってるつもりでも、思った以上に〇〇なんだな!って感じること、まだまだあるんだなぁ。
まだまだ自分を知らないね!まぁ若いからしゃーないかぁ〜

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