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コピーはセンス。ただし、学びのセンス。

コピーに対する姿勢をふりかえってみた

中学時代にふと夢描いたキャッチコピーをつくる、という仕事。
父親の「大変だからやめとけ」というパワーワードに、当時の俺は恐れをなした。
「いまからわざわざ大変な仕事めざさなくてもいいよなあ」

その言葉には、いくつかの意図が含まれている。

数打ちゃ当たる、逆に言えば数打たないと当たらない。
センスが大事、そのセンスがお前にはあるのか。

今思えば子供の未来にずいぶんと漆黒の影を落としてるなあと、身内ながらお見それするが
その後の自分の人生は、「言葉選び」で成り立っていたと振り返る。

会話は大喜利だ。生来のファシリテーターである俺は、飲みの場でも遊んでる時も雑談でもなんでも、
テーマを場に投げて、
あとは場でワサワサ加工してくれるのでそれを一言にまとめて場を終わらせるポジションにいた。
その道中で、拾い上げたらもっと輝く原石発言があったら
丁寧にその発言にコメントする。磨いてみるんだ。

この遊びを繰り返しやってると、拾い上げと磨きの質が上がってくる。
他の人の拾い方も、パクる。ああ、左手で押しつぶしてから右手ですくいあげるのかあ、などなど。
そんな事をしていると、言葉選びで認められるようになってくる。
たくさん話して小ボケを連打するザキヤマタイプではなく、
場に一旦のの区切りをつけるジュニアタイプ。

ファシリテーター、ツッコミ、言葉選び。

俺はまだコピー書いたことない

さんざん自慢話じみたことを綴ったが、
俺は別にプロでも、アマですらない。もちろんアマビエでもない。いっときアマエビではあったかもしれない。
ここでなにを言いたいか、なにを表明したいかというと
物の見方と引用のスキルを身につければ、良いコピーが書ける!と確信したので
今後はそれを証明していく様子を、好き勝手に発信していくよ。という
手帳でやっとけレベルなひとりごとなのであった。

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