「5/7第11号」

案内
 さて、ゴールデンウィークが終了し、私のようなプロレタリアな同志諸君におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。今回は医療ソーシャルワーカーとして働いている私自身が見た、医療ソーシャルワーカーに思うことを全力で書き散らしました。偏りやバイアスも当然あるかと思いますが、お読みくださったならば叱咤激励のコメントをお待ちしております。
 学術的価値はなく、あくまでも肌感覚でありますから、何卒ご容赦下さいませ。それでは宜しくお願いいたします。

1.医療ソーシャルワーカーに思うこと

 私は一般急性期や回復期リハビリテーション病棟、地域包括ケア病棟を持つ病院の、医療ソーシャルワーカー(以下MSW)として働いている。ここで特定機能病院や高度急性期病院等役割や機能についての話は別な機会で述べるとし、私の感じていることを書き散らすとする。
 最近特定機能病院や高度急性期病院に、”救急認定ソーシャルワーカー”なるものがおり、救急外来において華々しく活躍していると聞く。(私は直接お会いしたことはないが、どうやらいるらしい)今更MSWがどんな働きをしているのか、ここで論じるところでもないが、必要に応じて次回以降に書き散らすとする。私が思うに、現実なるMSWの役割は退院先方向性を本人と家族と相談しながら、自宅や施設入所もしくは療養型病院への転院相談が主体のように見える。また外来での制度紹介や救急外来での身元捜索や情報収集のみならず、独り暮らし(独居)で身寄りない(家族等疎遠)方への死亡対応の行政や葬儀業者への連絡や、各種代行申請の他、挙げ句入院費用のやりとも代行する場合がある。これらを1度整理すると、本人や家族から発信される相談もあるが、所属組織や他職種からの依頼も大変多い状況であるといえる。この場合”クライエント”は誰になるだろうか。
 これだけではない、近隣の高度急性期病院や特定機能病院において、クライエントの社会背景を理由とした”満床”があり、社会環境を調整することもなく下り転送(高機能な病院から、一般急性期や療養期への”転院搬送”のこと)されることがある。入院が長期化することが予想される社会的背景のある方の受入は、高度急性期や特定機能病院では役割上そぐわない実に多くのMSWが詰めている病院ですらも、このような場面が多く見られる。”MSWはソーシャルワーカーなのか”という問いは私がMSWとなってからしばらく考えてきたテーマである。私は未だ”MSWはソーシャルワーカーではない”という結論を乗り越えられずにいる。所属組織の機能や役割を遂行する為に”ソーシャルワーク”をしているといえる。
 特定機能病院や高度急性期病院にいるMSWと思われる方のTwitterアカウントを見かけ、そのつぶやきについて、私なんかは思うことばかりである。彼らの言うことが全てではないこと、そして私のバイアスも大いにあること自己批判した上で、このブログを通じて訴えるとする。

2.医療ソーシャルワーカーは”ソーシャルワーカー”なのか

 1915年アブラハム・フレックスナーは「ソーシャルワークは専門職なのか?」と題した講演をおこない、専門職として定義する概ね6つの条件を挙げた。これは後にグリーンウッドが5つの属性として整理している。”ソーシャルワーカーは専門職である”と、職能団体等は意識するように宣言していた。フレックスナーの定義は今日においても、例えば社会福祉労働や専門職研究の第一人者である秋山智久あたりに影響を与えており、私はこれを”フレックスナーの呪い”と呼称している。三島亜紀子(2007)『社会福祉学の「科学性」ーソーシャルワーカーは専門職か』勁草書房.にかいていたような気もするが、ともかく”呪い”と呼ぶにふさわしいほど、意識されるものである。

フレックスナー(1915)「ソーシャルワークは専門職に該当しない」

  • 体系的理論

  • 個人的責任が伴う知的な仕事

  • 実践的。実用的である

  • 教育的手段により伝達可能な技術である

  • 専門職団体・組織を作る

  • 利他主義的である

グリーンウッド(1957)「ソーシャルワークは”すで”に専門職である」

  • 体系的理論

  • 専門職的権威

  • 社会的承認

  • 倫理綱領

  • 専門職的副次文化(サブカルチャー)

秋山智久(2000)「社会福祉実践論」(2007)「社会福祉専門職の研究」

  • 体系的理論

  • 伝達可能な技術

  • 公共の関心と福祉という

  • 専門職の組織化

  • 倫理綱領

  • テスト若しくは学歴に基づく社会的承認

 さて、これだけ並べてみたが、共通しているところを、私なりに整理する。
それぞれ項目をあげて、”矢印”にて私見を述べる。
・体系的理論
→”医療ソーシャルワーク理論”と呼べる程理論化されているとは言い難い。
・伝達可能な技術
→OJT等教育体制が確立されているとは言い難い。
・職能団体の組織化
→低い組織率と高い会費
・倫理綱領
→医療ソーシャルワーカー業務指針が2002年以降見直されていない。
・社会的承認
→普及啓発はすれども職種として認識されているか疑問である。
・利他主義的である
→所属組織にいることから利他主義とは言えない。

 このように私が見聞きしたことを踏まえ整理すると、”MSWはソーシャルワーク専門職なのか”と疑問符が上がることは自明である。気をつけたいのは、私はMSWを否定しているのではなく、あくまでも批判的に捉えていることである。”MSWをソーシャルワーク専門職である”とするには、次の機会に書き散らすとする。

3.医療ソーシャルワーカーは”ソーシャルワーカー”である

 さて、私の仕事であるMSWであるが、上記の通り”MSWはソーシャルワーク専門職なのか”と問題提起し現状を整理する自己批判をおこなった。

・体系的理論
→ソーシャルワーク理論はある程度確立されている。
・伝達可能な技術
→OJT等教育体制が確立されているとは言い難い。
・職能団体の組織化
→低い組織率と高い会費
・倫理綱領
→ソーシャルワーカーにおける倫理綱領は制定さている。
・社会的承認
→”MSW”という言葉は漫画等でも散見されるようになった。
・利他主義的である
→所属組織にいることから利他主義とは言えない。

 医療とは福祉ではない。医師や看護師は医療や看護という視点でクライエントを見るが、ソーシャルワーカーは生活者という視点で捉える。同じ生活者としてクライエントと共に考えることが出来るのは、ソーシャルワーカーだけである。何故ならソーシャルワーク技術を用いることができるのは、体系立てて学んだかどうかである。これぞ専門職たる所以である。入院中のクライエントにとって、病院が社会環境の一つであり、医師や看護師といった専門職は、いうならば社会資源と見立てることができる。クライエントを取り巻く社会環境を、ソーシャルワーカーが意図的に個別に調整することで、入院中や退院後の生活においても変化があると考えられる。
 以上のことから、”MSWはソーシャルワーク専門職なのか”の問いに対して”MSWはソーシャルワーク専門職と呼べなくもない”と私なりに整理できた。またそのうち思い出したときに、MSWについて書き散らそうと思う。

4.次回に向けて

 さて、色々と書き散らしたので、これくらいで筆を置こうと思う。
 今回”MSW特集”のような内容で書き散らすことが出来た。これは私なりの自己批判であり総括である。ただ、私が見聞きしたごく一部の話であるから、これが全てとは言い難い。また当記事は私の感想文にしか過ぎないため、学術的価値はない。思うところがある方は、是非ともコメントくださればと思う。励みになること、学びを深めることができるからだ。
 次回は何を書き散らそうか、悩むばかりである。

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