くじらなめんな
別に音楽が好きではない。というと語弊があるが、事実そうだと思う。
音楽よりも言葉が好きだ。すなわち歌詞が好きだ。詞が好きだ。
だけど詩を読む習慣はない。音楽が詩を詞にしてくれることで触れやすくなる。ハードルを下げてくれる。私にとって音楽、曲はそういうものにすぎないのかもしれない。サウンド的な好みの影響が0だとまでは言わないけれど。
歌詞が好きということについてもう少し深く説明すると、1曲通して丸々好きというケースは稀。
むしろ、「この部分がいい」みたいな、ごくごく一部を切り取って「いいな」と思う。言うなればキラーフレーズ。それが一つでもあれば、「いい曲」。そしてそのフレーズは、別に曲の中心にあってもなくても関係ない。詞全体の本筋と関係あってもなくても関係ない。このようなキラーフレーズ現象(全部というより一部をいいと思う)は、小説を読むときにもよく起きたりする。よく起きるというか、それが私の芸術観賞スタイルなんだろうなと思う。詞や小説に限らず。
今週の個人的ヘビロテ。
お気に入りの詞(キラーフレーズ)はこれ。
怒りの火種 木をくべるか
お湯を沸かし人を癒すか
2番のAメロ後半に出てくるなんてことない一節だけど、「上手いな」「いいな」となった。作詞作曲はgo!go!vanillasの方なんですね。不勉強ゆえあまり知らなかったけど、いい曲だなと思った。特に上記のフレーズをもって、いい曲だなと思った。
一方で曲を全部通して聴いたら、もしくは詞を全部読んだら、「くじらだって大変なんだ!」「くじらなめんな!」というクレームがくじら達から殺到しそうな内容である。もちろんそういう意図ではないだろうと思うけれど、そうとも読める内容である。そう読めてしまう時点で「うーん」と思うところがないわけではないけれど、一つ刺さったフレーズがあるので、私にとってこれは「いい曲」。
全部というより一部をいいと思う、森というより木をいいと思う、キラーフレーズ現象の典型例だなと思う。
そしてそんな趣向の人間だから、文章のタイトルがこんなことになる。中身の本質を捉えたものでは決してないというのに。あとこのように書くと、タイトルを「キラーフレーズ」と自認してることになり、ものすごくかっこ悪い。
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