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変化と気付き


山しかない
人がいない
コンビニがない
娯楽がない
つまらない

田舎と呼ばれる場所に行ったとき、僕の目に映る世界はこんな風に映っていた。父親の実家はまさに田舎にあるが、あの田舎町に行っても何もすることはない、そう思っていた。


その感覚が、この2年ほどで大きく変わった。

あの山はなんという山だろう
あの花はなんという花だろう
この鳥の鳴き声はなんという鳥のものだろう
この静けさはなんて心地が良いんだろう
この町はなんて美しい町なんだろう

僕の田舎や地方に対する感覚が明らかに変わったのは宿巡りを始めてから。愛媛県松山市の瀬戸内リトリート青凪で見た、瀬戸内海に沈む美しい夕焼け。徳島県上勝町のHOTEL WHYの客室から見渡す、雨に打たれ艶やかな一面と、霧がかった幻想的な山の景色。滋賀県高島市の福田屋では穏やかな水面にうつる、優しくも情熱的な朝焼け。他にも素敵な宿に訪れたことをきっかけに、美しい景色に出会ってきた。そして地方や、まだ足を運んだことのない田舎という場所に、強く惹かれるようになった。


「宿が好き、宿に関わる人が好き。」

宿巡りを始めた当時、僕が宿巡りをする理由はまさにこの言葉の通りだった。この感覚は今でもある。そして本当に宿が好きで、宿に関わる人たちが大好きであることに嘘偽りはない。

でもこれから訪れる宿には、きっとこんな言葉もついてくる。「その地の美しさを感じられる宿が好き」もしかしたら僕の中での流行りかもしれない。でもきっとこれからも、ずっとこの感覚は残るだろうと思わせてくれたのが、岐阜県高山市での移住生活だった。

夏に感じる"涼しさ"が、エアコンから出てくる冷風によるものではなく、窓を開けた瞬間に僕の身体をなぞるように吹き抜けていく北風だったり。

秋の終わりや冬に感じる"温かさ"が、暖房による温風ではなく、薪をくんで火を焚く焚き火や薪ストーブの温かさだったり。

春の訪れを感じるのは、卒業シーズンや年度末の追込みではなく、雪が溶け、地表の草木が顔を出す瞬間だったり。

季節の感じ方ひとつを取っても、僕の目に映る世界、そしてその世界をとらえる僕の感覚は、高山での移住生活を通して大きく変わっていた。移住を決めた時、僕は「今1番好きな場所に住みたい」この思い1つで移住を決めた。それを高山の地元の方々に伝えると、何がそんなに好きになったの?とよく聞かれる。

自然、人、食材、お酒、文化。
言葉にして並べるとありきたりだけど、僕にとって高山のこれらは本当に魅力的に見える。色々な場所に行って「綺麗だ!」「美味しい!」「楽しい!」「幸せ!」と思ったことは何度もあるけれど、高山に関しては「もっとこの町のことを知りたい」と思えた唯一の場所だった。

そして移住して1年経った今、高山のことを今でももっと知りたいと思えている喜びと、高山に住んだことで、自分が自然のことをこんなにも大好きなんだと気付かせてくれたという感謝に近い思いが、いま僕の胸の中にはある。この変化を感じられていた訳ではないけれど、無意識のうちにこれから足を運びたいと思う宿を選ぶ基準も少し変わってきた気がする。

これから僕が訪れるであろう宿は、きっとその地の美しさを感じられて、きっと僕が大好きだと言える方々が営んでいる場所なんだと思ってる。いま頭に浮かぶ泊まりに行きたい宿も、全部これに当てはまっている。

旅行をきっかけに訪れた地に移り住むことに、特に何かを期待していたわけじゃない。好きになったから住んだだけだった。だけど、この1年がこんなにも充実した1年になるとは思いもしなかった。

また今年も宿巡りを続けていく。また最高な思い出が増えていく。これまでに綴った"変化と気付き"が、その思い出に、今まで以上に色を足してくれる。そんな予感がしてる。

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