卒乳初日の記録
令和元年五月三日。
この日、我が家の赤子は一歳四ヶ月目に突入した。
そしてこの日、「赤子」は「息子」へと昇格すべく、ママの実家にて卒乳の儀式が執り行われた。
ちなみに風邪でダウンしている旦那は連休最終日に来る予定。
一ヶ月くらい前から本人には「もうすぐおっぱいバイバイだね」と言い聞かせていたこともあり、前日まで執拗におっぱいを吸っていたため、周りからは心配されたものの、ひとまず一日目は無事に終了。
せっかくなのでnoteに書いてみる。
朝、最後の晩餐的にたっぷり飲ませ、機嫌良く遊んでいる間に油性ペンで顔を描く(絵心はない)。乳首の部分も真っ黒に塗りつぶせと母には言われたが、残念ながら油性ペンがかすれていて上手く塗りつぶせなかった……
それでもお腹じゅうに描いた顔に息子は二度見、「もうおっぱいバイバイね」と言い聞かせたら彼の方からひらひらとバイバイジェスチャーと思わしき行為で……手を振ってくれたのだ!
(よし、第一関門突破)
ひとまず午前を乗り越え昼食。
ぐずったらベビーカーに乗せて近所をぶらり。
おやつを食べたら眠くなったようなのでおんぶして外出、電車を眺めているうちに寝たので帰宅、一時間ばかしスヤァ。
(ママはこの間にシャワーを浴びた)
ママが風呂に行っている間に目覚めたとかで、母がおんぶしてあやしていたのをバトンタッチ。
ぐずるので目を覚ますためにベビーカー出動(本日三度目)、電車を眺めて(以下略)。
家に戻ってからも多少ぐずったものの、新しいオモチャや豆乳などで誤魔化し、母と入浴。
風呂上がりのおっぱいの代わりに麦茶を提供。
夕食まで姉たちも交えて遊び、そのままご飯。
おっぱいがないのでご飯の量が増えた気がする。
その後は十歳年上の長女と寝る前まで遊ぶ。
夜十時を過ぎたらさすがに限界になったのか、ふらふらしながら尚遊ぶ。
長女が部屋に戻って消灯したのを見て、ようやく寝室へ。
実家にあった粉ミルクの残りを飲み干し、自ら布団のなかに入ろうとするも、やはり眠いと母親のおっぱいが恋しくなるのか、ふぇふぇ泣きながら這いよってくる。
胸元に手を伸ばした際に「おっぱいとは朝バイバイしたよね?」と言ったらわかってくれた。
だから背中におぶってゆさゆさしたら落ち着いたのか、布団にころんと転がって、そのままモゾモゾしながら寝息をたてはじめる。
(あれ……寝ちゃった?)
次女の卒乳のときより楽な気がする。
まぁ、この後夜中や明け方がどうなるかはわからんのだが……
胸が張るので洗面所で絞ったらすごい母乳の量だった。もう息子が飲むことはないのだなと思ったら、少しだけ泣けた。
なんせブランクはあれど十年以上かけて計三人の子を育んだおっぱいである。
もう休んでもよいと思うのだ。
が。
旦那が「お前が卒乳したらこのおっぱいはパパのものになるんだぞ」と息子に言っていたので、まだまだおっぱいが休まる日は遠いと思われ……?
※旦那がおっぱい卒業してなかった件については(略)
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