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魅惑のジンジャーハイ

ウイスキーの空き瓶が床に転がっている。

数日前に、同期とリモート飲みをした時のものだ。

 今のサークルに入るまでほとんど酒を飲んだことがなかった。亡くなった祖父くらいしか飲まなかったため家に酒がない。 たまにある飲み会では、カシスオレンジとかカルピスサワーとかジュースに毛の生えた飲み物をちびちび飲んでいた。 先輩たちはワイングラスを片手に上機嫌になって、いつも以上の距離感でスマホを向けてくる。 女子だけの花園で少し浮いていたわたしは、そういう時だけでも可愛い先輩と写真を撮れることがちょっと嬉しかった。  

しかし、訳あって花園を抜け出し、新しいサークルに入った。同じ街にある大きな大学のサークルで、他大学の学生も入ることができた。 飲み会も前に比べたらそこそこあったが、いわゆる飲みサーではなく、まじめに活動する人がほとんどだった。 それに飽き飽きした酒好きの友人に誘われて、飲みに行くことになった。そこで初めて飲んだのが、ジンジャーハイボールである。 運ばれてきたグラスを満たす琥珀色の液体。グラスを持つと氷がからんからんと音を立てる。嗅いだことのない魅惑的な匂いが鼻腔をくすぐり、胸が高鳴る。 

お、大人の飲み物だ…。だが、果たしてこれは美味しいのか。 おそるおそる口をつける。……お?美味しい…? これまでジュースみたいなお酒かやっすい缶チューハイしか飲んだことがない、初心者の舌は当てにならない。 とりあえず飲み、無くなったら友人の真似をしてもう一杯飲む。これを繰り返しているうちに、わたしはどこへ行ってもとりあえずジンジャーハイを頼む女になったのであった。  

女の子と2人で飲みに行ったとき一番最初に相手がなにを飲んだら可愛いと思うか、という質問をしたことがある。 ほとんどの人が悩みながらもなんでもいい、ある人はおんなじの〜!って言われたら嬉しい、と回答してくれた。 回答してもらってなんだが、おんなじの〜!って言う女はきっと策略家だと思うから気をつけて欲しい。 あと、りんごサワーって言った人、あなたはたぶん少数派なので統計ではその他にします。 

1杯目はその人を語る。 しかしビールはまだ美味しさがわからないし、可愛いと思って欲しいならなんか違う気がする。だからといって、甘いお酒だと舐められそうだし、か弱さを演出してしまう危険性がある。 そんな時にはジンジャーハイである。ビール、とまではいかないけれど、お酒飲めますと言うことが伝わるし、差別化も図れる。 そしてなんだかんだ飲みやすい。わたしはジンジャーハイの女として、地位を確立したかのように思えた。 

しかし、気づいてしまった。 ジンジャーハイはほとんどジンジャエールである。 

大学3年生、いいなと思っている人と2人で飲みに行った。もちろん初手はジンジャーハイである。 しかし、その店の飲み放題のメニューにはジンジャーハイがなかった。呆然とするわたしの横で、俺ハイボール、といった彼につられて、お、おんなじので、と注文した。あんなに毛嫌いしていた、おんなじの〜女になってしまった。 

それより、わたしはジンジャーハイは飲めても、無味の炭酸で割ったハイボールは好きではないのである。だって、甘くないんだもの。 運ばれてきたハイボールはやっぱり美味しさがわからなくて、ああ、わたしはジンジャエールが好きだったんだなあ、と思った。 ちなみにその飲み自体が消化試合?いやエキシビジョンマッチ?みたいなデートだったので、苦い思い出である。

 そんなことを思い出しながら、わたしはスーパーの酒売り場をうろうろしていた。酒好きの友人がどうしても飲み会をしないと死ぬと言うので、このご時世、はやりのリモート飲みをすることにした。 月に2回ほどは飲み会をしていたのだけど、ここ1ヶ月は全くしていないし、家では飲まないので久しぶりの飲酒である。 安い缶チューハイを見ながら、ふとジンジャーハイが飲みたいと思った。サントリーウイスキーの小瓶と、ジンジャエールを2本、おつまみにチーズと堅揚げポテトのブラックペッパーを購入して家路についた。 

グラスに氷を山のように入れウイスキーを注ぐ。初めて自分で作るので、量がよく分からないが、このくらいか。そこにジンジャーエールを注ぐ。 わたしの手によって琥珀色の飲み物が誕生した。 美味しい、ジンジャーハイだ。でも、やっぱりわたしはジンジャエールが好きなのかもしれない。ペットボトルに口をつけてジンジャエールだけを飲んでみる。美味しい。 でも、なんか物足りない。 あの底に沈んだもったりとした甘いような、苦いような、あの甘美な味わいこそがわたしの求めるものだ。ああ、ジンジャエールには戻れないのである。

 魅惑の飲み物、ジンジャーハイ。 ジンジャーエールの中に沈んだウイスキーの味わいを感じながらわたしは大人になるのである。ジンジャーエールが若さの象徴なら、ウイスキーは人生経験かもしれない。少しずつ味わってゆくものなのだ。 ジンジャーの入っていないハイボールを飲んだあの日から、わたしはまたひとつ大人になるのであった。 

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