かつての15歳を想う - 花譜 1st ワンマンライブ「不可解」を振り返って

「きょうからあしたのせかいをかえるよ」

そう宣言し、多くの人々と、一つのシーンに変化をもたらした花譜1stワンマンライブ「不可解」の興奮も、あの日から繰り返される日常に馴染みつつある。それでも思い返せば、バーチャルシーンにおいて歴史の転換期となりうるほどの衝撃を、忘れることはできない。

そんな事件とも呼べる日から幾らか経って今、こんなことを書いている自分は何なのかと言えば、あの日から自分の内に去来したものに対して向き合っていた。

ライブの仔細はより良いレポートや回顧録を書いてくれている人達がいるので、ぜひそちらを見て欲しいが個人的な見解も少し認めておきたい。

花譜(ちゃん)は運営も公言するように、実在する15歳の少女であるということを隠していないし、ファンである"観測者"もそれを受け入れている。
だがしかし、"花譜"は彼女自身であると同時に「バーチャルシンガー花譜」として、フィクションとノンフィクションが混在するものとして表現されている。

あのライブのために用意された言葉、映像、音楽、花譜本人を含めたあらゆるものが「不可解」を形作り、あの時ライブ会場に「花譜」という世界と、仮想世界の少女を降臨させていた。それは現実世界へのファンタジーの顕現であり、”作品世界はこちら側”という、個人的にバーチャルな存在というものに抱いていたありようだった気もする。

一人の女の子の才能を最大化するための莫大なプロデュースの労力、スタッフのサポート、楽曲、バンド演奏、キネマティックタイポグラフィや背景映像のアートワーク、プロモーションイラストらのクリエイティブ、ファンアートから声援に至るまで、それら全てがあの場の「花譜」を形作っていた。

その中心で楽しそうに歌う花譜と、彼女に向けられた愛情と祝福は、その日までに起きたいくつかの出来事によって漂っていた暗澹たる気配までも払ってくれた。

改めて「不可解」を作り上げた全てのクリエイター、スタッフ、彼女を応援してきた"観測者"と当日ライブを目撃した"共犯者"達の「TEAM FUKAKAI」に心からの讚辞を贈りたい。


私達は、花譜のこの不確かで脆い才能が、インターネットやクリエイティブやテクノロジーが介在し、“今彼女が出来ないこと”を補完することで、今後どう変化してゆくのか?

いつの日かリアルのアーティストと肩を並べても遜色の無い、現実とバーチャルを越境出来るアーティストとなり得るのか?

表現者全体にとって、転換期であるこの時代だからこそ起き得る”出来事”に興味があります。唯一であり最大の欲望が有るとするなら、そういった事象をなるべく一番近くで観測していたいのです。

そこにビジネスだけではない、理屈だけではない何かがあると信じて。

花譜ファーストワンマンライブ「不可解」につきまして より

バーチャルシンガーという選択肢は、元は彼女を守るための盾であったろうし、もしかすると、彼女はいずれ「花譜」からも飛び立ち羽ばたいていくのかもしれない。それでもあのライブにおいて「花譜」は一つの表現として結実していた。

大好きな歌を歌う彼女は本当に楽しそうで、声と身振りにはその想いが溢れ出てていた。そんな愛情と祝福を受け輝く彼女の影に、かつて絵が好きだった頃の自分がいた。

かつての自分は、好きな絵と物語に関わって生きたいという願いを抱き、その道を歩む中で多くの挫折と失敗と繰り返した。そしていつの間にか、その"願い"は"呪い"に変わってしまっていた。
思ったように描けない自分や絵を否定し、他人への妬み嫉みを繰り返して積み重なった怨嗟は自分への呪いに転化し、ペンを握ることも、白紙のキャンバスに向かうことすら恐怖でままならないほど、取り返しのつかない所まで自分を蝕んでいた。

こんなことなら憧れなければ良かったと何度も思ったし、諦めるための理由を探したり、いっそこの指の骨を砕いてしまえばもう描かなくても許されるんじゃないかとか、真摯にその道を歩む人達からすれば軽蔑されるようなことを考えもした。

かつて絵が好きだった自分は、好きだったものを心から憎み、嫌悪する、醜くおぞましい怪物にいつの間にか変わり果てていた。

"私が歌を歌うのは 歌が好きだったからさ"
"好きなものを 好きなことを 好きでいることに理由はいらない"

歌が好きだとライブで直に語った花譜は歌う。

彼女の歌う「そして花になる」を聴きながら、馬鹿みたいに泣いていた。
この子はこんなにも楽しそうに歌うのに、どうして自分はこんなふうに変わり果ててしまったんだと。好きなものを憎むような化け物になりたくなかったと。

気づけば泣きながら絵を描いていた。長い間成長の止まった技術力や知識、表現力は、相変わらず納得できるものではなかったが、何枚描き直しても辛くはなくて、ひたすら絵を描いていた。

気付けば、何年も自分を苦しめ続けた呪いは消えていた。

小さいことで悩んだり喜んだり、自分自身を疑ったり自信が無かったりする、世界の何処にでもいる普通の女の子が「花譜」で、クラウドファンディングから産まれた楽曲「そして花になる」で彼女が伝えてくれた等身大の言葉が多分彼女の全てです。

それはかつての自分達と同じでもあり、何よりもこの世界に同時代に生きる「15歳」達に深く共感してもらえる“古くて新しい御伽噺”だと確信しております。

世界の何処にでもいる普通にいる女の子の「可能性の拡張」が我々が“今実現させるべき仕事”なのです。

そして新しいコトへの挑戦は常に、「今見える事しか信じない人達」と「まだ見た事が無いものを信じる人達」の透明な戦争の歴史とも言えます。だからこそ私達は音楽や物語の奥底にある、人間自身が産み出す不確かなものを信じています。

美しくて不可解なものを信じるために。

クリエイティブの魔法をもう一度だけ確かめるために。

許せない人をいつか許すために。

花譜や仲間達や好きになってくれた方々と共鳴するために。

ずっと遠くにいる誰かのために。

観測しあうために。

この白でも黒でも無い「不可解」を捧げたいと思います。

花譜ファーストライブ「不可解」への想い   より

圧倒的なクリエイティブの総和と、若き才能と可能性を前にして泣いていたのは、今の自分か、それともかつての15歳なのかはわからない。何者にもなれないまま大人になってしまった自分の内に起こったものはなんだったのだろうか。
ただ、過ぎ去ってしまった時間と後悔に対して、少しだけ折り合いはついた気がする。

別に絵を描くことを辞めるつもりもないし、何かを作り表現したいという気持ちは、今の方がむしろ自分に根ざしている。

現代を生きる15歳のこれからが、どうか祝福されたものであることを心から願う。

あの日受け取った不確かなものが、私の中に残り続けている。

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