尊敬する伯母さんのお話し

私の母には年の離れたお姉さんがいました。
いわゆる伯母さんと姪の関係ですが、普通の伯母さんというよりもものすごく大きな存在の人でした。

ものすごくパワフルでかつ気遣いをする人。
人の悪口は絶対に言わない人。
裏表のない人。

これまでの人生で私が出会ってきたなかで最も善意の塊のような人。

少し前に亡くなったのですが、生まれ変わったらきっと次は神様になるんだろうなーと思うくらい徳の高い人でした。

当時には珍しく大学を卒業していて一部上場企業の部長をしていました。
その後は某大学の理事を勤めたり、業界団体の設立をしたりと忙しくしていました。知人、友人が多く、退職後も1,000枚近くの年賀状を交換し続けていました。

晩年は足腰が不自由になってしまったのですが、それでも精力的に勉強会や同窓会に行くことを楽しみにしていました。

私は伯母の外出を補助するために車いすを押して色々な場所に出かけました。

とある同窓会に行った時のこと。
その同窓会ではあぁこの人新聞でみたことあるな、と思う熟年期を迎えた蒼々たるメンバーがそろっていました。
場所は銀座の有名なレストランの個室。
私は伯母が車いす移動が必要になりそうなタイミングを見計らって何度かその個室に出向き、部屋についたら完全に黒子に徹するべく、同窓会の会の進行を見ていました。

そこでの会話はかつての同級生の話から世相の話、戦争の話など。

(戦争を経験している世代なのです)

伯母の様子を見てみると普段は積極的に会話に参加しているのに、
誰かの噂話になると急に黙って会話に参加しなくなります。

また誰かが戦争の頃の話をしていた時のこと。
空襲の時の話など、実際の体験者の話はリアルで壮絶です。

日常生活を送っている中で突然聞こえる空襲のサイレン音。


生と死との間を隔てるものは運しかなく、その中でも懸命に生き延びようと逃げ惑う人々。

そんな話がされる中、この人たちはどんな気持ちで経験したのだろうと想像しながら聞いていました。

そこでも伯母は黙ったままでした。

何か決意があって話さないんだろうかと感じました。

以前に伯母から戦争の頃の話を聞いた際には何をしてどう感じたかを割と細かく教えてもらったのですがそこでも、苦労話や悪口は一切ありませんでした。

とにかく悪い話、辛い話をしている時には一切話さなくなり気配すらなくなるのです。

戦争の話がひと段落ついた時に、伯母の親友が(この人も超有名人です)話に割って入りました。

「ねーえ。でも、その経験が私たちを強くしたと思わない?」

びっくりしました。
ただただ理不尽としか思えない戦争の経験について、自分を強くしたと言い切ってしまうとは!

伯母の顔も生気を取り戻し、ウンウン!という様子で再び会話に加わっていました。

戦争を経験して辛いと感じ、その話を後世まで話続けるのは当然のことだと思います。

その経験を経てもなお、明るいところだけを見て話そうとする。

これは強烈な意思の力がないとできないことだと思います。

「優しさは即ち強さである」
昔、誰かが言っていたのを思い出しました。

伯母が強くて優しいのは悪口や悪い出来事に対する究極の対処法を身に着けているからかなぁと。

また、伯母の親友も伯母と同様に太陽のように善意で溢れた強い人です。

手本であり目標にしたい人。

自分が困った時、伯母たちならどう考えて行動するだろうかと思い出します。

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