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#15 鳥追いと塞の神と小正月

ありゃりゃが 鳥追いだ
だいろどんの 鳥追いだ
かしらきって しりきって
おんだわらへ ほりこんで
さどがしまへ ほーいほーい

拍子木を叩き、歌を唄う

夕刻から激しさを増した雪の中、中里地域の重地集落に子どもたちの歌声と、それを包みこむような野太い男たちの歌声が響く。1月13日の午後7時過ぎ、「鳥追い」が始まった。
 
鳥追いは田畑を荒らす鳥獣を追い払って豊作を祈る小正月の風習だ。子どもたちが主役の祭りで、拍子木を叩きながら歌を唄い、集落を練り歩く。途中、ご褒美にお菓子をもらったり、冷えた体を暖めるココアが振る舞われたり。今年は雪が少なくて叶わなかったけれど、雪国・十日町では、大人たちが作った雪の家・ホンヤラドウの中で子どもたちが一緒に食事をしたり、遊んだりするのだそうだ。
 
「子どもが多かったころは、かまくら(ホンヤラドウ)も沢山あってね」と語るのは、今年の鳥追いを仕切る鈴木和人さんだ。鈴木さんが住む重地集落でも他の中山間地の集落同様、子どもが減り、周辺の4集落が集まって鳥追いをしているのだそう。今年は保育園児から中学生までの約15人の子どもたちが参加した。

灯籠作り
今年は記録的な小雪のため、通り脇に雪の壁がない

鳥追い当日の午後3時すぎ、鈴木さんら集落の大人たちが集まり、雪灯篭を作り始めた。例年であれば背の丈ほども積もった雪の壁に蝋燭を灯すのだが、今年は雪が少なくバケツに雪を詰めてはひっくり返し、灯籠を作っていく。
 
小さな子どもたちも重地構造改善センターに集まり始め、一緒にテレビを見たりお菓子を食べたり、お祭りムードが高まってゆく。

食事会
大人たちも楽しそう。左から3人目が鈴木和人さん

午後6時ごろ、各家庭が一品ずつ持ち寄った食事会が始まった。子どもたちと共に、大人たちの楽しそうな笑い声が響く。
 
食事が終わると、大人たちは灯籠に蝋燭を灯し、子どもたちは本番に向け、歌の練習をする。鳥追いの歌詞は集落ごとに違うそうだ。少なくとも僕の暮らす集落の歌詞とは違う。

蝋燭を灯す
ホンヤラドウの代わりに作った龍の雪像の前で記念写真を撮ったら出発
歌を唄い、集落を練り歩く

さあ、いよいよ本番だ。
 
子どもたちの覚えたての歌詞を歌う小さな声と、ずっとその歌を歌いつづけてきた大人たちの大きな声が夜の集落に響き渡る。

冷えた身体をココアで暖める

歌声を聞きつけ、お菓子を持って外に出てくる人。子どもたちにココアを振る舞うために通りで待ち構えている人。子どもたちは集落の人に出会うと足を止め、歌を唄い、言葉を交わす。口から漏れる白い息が闇夜に吸い込まれていく。雪は音も立てずに降りつづけ、行き交う車は一台もない静かな夜だった。

茅を運ぶ
コロナ禍明け、4年ぶりの塞の神

鳥追いの翌日、僕の住む集落では塞の神があった。これも小正月の風習で、お札や正月の飾り、書き初めなどを燃やし、五穀豊穣や家内安全などを願う。
 
朝から、秋のうちに刈り取っておいた茅や竹を束ねて塞の神を作った。本当は午後からそれを燃やし、スルメを炙ったり、御神酒をいただいたりするのだが、僕は、今年は仕事のため午後から参加できなかった。

今年は参加できなかったけれど、こちらは4年前の塞の神

十日町市へ移住する前、僕は小正月を意識することもなかったし、地域で必ずする行事もなかった(だからついつい、塞の神の日に仕事を入れてしまう)。鳥追いや塞の神は僕にとっては新しい経験であり、ここで暮らすみなさんにとってはずっと続けてきた当たり前のものである。そんな小正月の習わしも、少子高齢化などで続けることが難しくなっているという。
 
僕は僕なりにこの新しい経験を続けて、いつかは当たり前のものとして、息子に受け継いでいけたらな、と思う。移住とはただ住む場所が変わる引越しとは違い、その地に根を張り、その土地を学びつつ、四季を繰り返してゆくことなのかな、と思う。

十日町市にすんで8年。まだまだ根は張れていない

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。
 

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