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#3田植え

5月の連休が終わると急にそわそわし始める。日毎に変わる天気予報を何度も見ては、いつ田植えをしようかな?と考える。この日は雨予報だから水のたまらない田んぼの代かきをして、数日後の晴れ予報の日に田植えをしようなど色々と考える。5月のカレンダーは天気予報を見ながら予定が埋まっていく。

大雨予報の前日、 水のたまらない田を耕運した。三脚にカメラを設置し、30秒ごとに自動で写真が撮れるようにセット。写真を見返すと農道に寝転がっている自分が写っていた。

十日町市に越して以来、僕も米を作っている。ずっと報道カメラマンをしてきて、世界各地でその土地に根を張って生きる人々を取材してきた。いつの日か僕もレンズの向こう側で暮らす人々のように大地に根を張って生きてみたいと思い、十日町市に飛び込んだ。
 
なぜ新潟県か?といえば、妻が新潟市出身だったからだ。では、なぜ十日町市だったか?と聞かれれば、ここには大地の芸術祭があり、妻が何度も作品制作のボランティアで訪れていた馴染みのある土地だったからだ。

 米を作っているのは「この地で根を張るには米を作るのが1番」と思ったから。ここで暮らしていると、挨拶も自然と田んぼに関係したものになる。「田植えはおわったか?」とか「田んぼの水は大丈夫か?」とか。暮らしは米づくりと共にある。

友人に手伝ってもらい借りている田の田植えをする

一方で僕は今でも、週に一回、東京にある大学院と大学で報道写真を教えている。こちらは天気に関係なく決まった曜日や時間で予定が埋まっていく。
 
季節と天気で予定が決まる農的な暮らしと、曜日や時間でスケジュールの埋まる都市的な暮らしは、なかなかうまく噛み合わない。
 
たまの晴れの日に電車に揺られて東京に向かっている時など、無性に悔しい気持ちになる。
 
さて、そろそろ代かきをして田植えをしようか、と思った5月下旬、一家でコロナウイルスに感染してしまった。計画が一気に吹き飛んだ。「人生なんて、突然起きる予定外の出来事の連続である」とある本で読んだことがあったが、まったくその通りだ。

いただいた田植え機で田植えを手伝ってくれた友人

仕切り直して6月5日、友人に手伝ってもらい、ひとまずわが家の田植えを終えた。僕は昨年から、歩行型の2条植え田植え機を使っている。それまでは手植えをしていた。昨年の田植えのころ、借りている田んぼの近くに住む人が「田植え機をあげるから、ついて来い!」と、半ば強引に田植え機をもらうことになったのだ。
 
僕は僕で手植えをするつもりだったのだけれど、田植え機を使ってみたら、あら便利。文明開花の花が咲いてしまった。山地の小さな田んぼでも小回りがきいてすいすいと田植えが進む。

株式会社千手の田植え。田も規模も全てが大きい

翌6日、市内川西地区で大規模に米作りをしている株式会社千手の田植えも見学させてもらった。千手では5月8日から1ヶ月ほどの期間に、9人のオペレーターが240町(240ha)の田んぼで田植えをするのだそうだ。

田植え機に苗を補充する
立派に育った苗を苗箱から取りだす

信濃川沿いに位置する川西地区は僕の住む山地の松代とは違い、広い田んぼが多い。8条植えの乗用型田植え機の仕事ぶりに僕は圧倒されてしまった。さらにその上、最新の田植え機は、タブレット端末のアプリと連動し、肥料調整や作土調整もしてくれるのだそうだ。歩行型の田植え機で「文明開花の…」なんて言っていた自分がなんとも可笑しくなってくる。これが、スマート農業というものか…。

遠くの山々に僅かに雪が残る

田植え機を運転していた丸山博さんはおろし立ての白い長靴に泥ひとつつけずに颯爽と田植えを終えた。僕が前日の泥まみれの自分の姿を思い出しながらきれいな長靴を眺めていると、「今日はたまたまだよ。(田植え機も)はまる時ははまるし、その時は田んぼの中にも入るからね」と笑っていた。

畳2枚分にも満たない通称「由美子の田」。復田した新田の棚田の1枚

「由美子の田んぼの田植えの写真撮らせてね!」とお願いしていた先輩移住者の宮原由美子さんの田んぼを訪れたのは6月26日のこと。宮原さんは夫の大樹さんとふたりで約1町の田をオール手植え&手刈りで米作りしている。
 
僕が見たかった「由美子の田」とは畳2枚にも満たない広さの田で、宮原さんが人力で復元した新田の棚田の1枚だ。おしゃべりをしていると、あっという間に田植えも終了。

ビビラと呼ばれる器具で縦横真っ直ぐな線を引く宮原大樹さん
膝下まで田に入りながら田植えをする宮原夫妻

その後、大樹さんがビビラと呼ばれる器具を使って正確に引いた線に沿って、由美子さんが他の田んぼも田植えをしてゆく。6月中には全ての田んぼの田植えを終わらせるという。
 
信濃川沿いの大きな田から山間の小さな田まで、十日町市では大小様々な田でそれぞれのやり方で米が作られている。農林水産省の統計情報によると、2020年の作付け面積は3990haで、収量は20700トンとある。同情報で遡ることができる1993年以降のデータによると、作付け面積が最大だったのは1994年の4980haでその年の収量は24340トンだったそうだ。

復田した新田の棚田

2020年と1994年を比較すると、作付け面積は約20%も減っているが、収量は約8.5%しか落ちていない。天候の違いなど単純に比較はできないけれど、作付け面積の減少を技術の進歩が補っているのだろうか。
 
宮原大樹さんは「米作りは、過去の全てが今の自分に返ってくる」と語る。「手抜きのツケは必ずきっちり返ってくる。頑張りは報われるとは限りませんが」と笑う。十日町市の米作りの未来を作るのは、今の私たちにかかっている。

宮原夫妻。頼りになる先輩移住者がいるからこそ、後発組も安心して土地に入ることができる

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』
世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。
 

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