見出し画像

兵書『孫子』ー君は戦争を知っているか?(13)

 『孫子』第四「形編」に入ります。形と言っても、軍の隊形のことではないので、がっかりされる方もいらっしゃるかも知れません。でも何故、「形」編?

【本文書き下し】
 孫子曰く、「昔の善く戦ふ者は、先づ勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己に在り、勝つべきは敵に在り。
 故に善く戦ふ者は、能く勝つべからざるを為して、敵をして勝つべからしむる能はず」と。
 故に曰く「勝ちは知るべくして、為すべからざるなり。勝ちを守るべからず、勝ちを攻むべきなり。守らば則ち余り有りて、攻むれば則ち足らず。
 昔善く守る者は、九地の下に蔵(かく)
れ、(善く攻むる者は:竹簡本にナシ)九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝ちを全うするなり」と。

【現代語訳】
 孫子が言うことには「昔の善戦する者は、まず勝つことができないことをして、それで敵が勝つはずなのを待つ。勝つことができないの(理由)は自分にあり、勝つべき(必然性)は敵に在る。
 だから、善戦する者は、上手く勝つことが出来ないようなことをして、敵に勝たせることは、できない」と。
 このため、(孫子は)言うことには「勝ちは知るべきで、為すべきではないのだ。勝ちを守ってはならず、勝ちを攻めるべきだ。守ると余りがあり、攻めると足りない。
 昔、善守する者は、広い地に隠れ、広い天下に動く。だから、上手く自分を保って勝ちを完全な物にするのだ」と。

☆評釈☆
 ここは、独自で解釈した。金谷治氏も浅野裕一氏も私も書き下し文はほぼ同じなのだが、「昔善戦者、先為不可勝、以待敵可勝」の部分を、例えば金谷氏は「昔の戦いに巧みであった人は、まずだれにもうち勝つことのできない態勢を整えたうえで、敵がだれでもがうち勝てるような態勢になるのを待った」と訳している。
 つまり「先為不可勝」を「まずだれにもうち勝つことのできない態勢を整えたうえで」と訳していて、言葉を補い過ぎていて、何か釈然としない。原文をそのまま訳せば、「先に勝つことができないことを為して」になる。
 浅野氏はテキストの改変を指摘している一方で、金谷氏と同様の訳をしている。恐らく言葉を補うのが伝統的な訳なのだろう。

 孫子のその後の文章にも問題があり「使敵之可勝」は意味不明で読者の混乱を招く。

 ただ金谷氏も浅野氏も指摘しているように、ここでは孫子は「昔善戦者」と「昔善守者」を対比させている。
 確かに、善戦するということは、ほぼ互角か負け気味ということで、確実な勝ちからは程遠い。勝機は半々か、善戦の末に敗れた、になってしまう。
 つまり、勝ちに行ってはだめで、善守すれば、自由自在に動いて、勝ちを完全なものにできる、と言うのだろう。

サポートよろしくお願いします。また本を出します〜📚