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兵書『孫子』(21)虚実編2

 今日は虚実編の2回目です。次第に戦らしい表現が出てきます。

【本文書き下し】
 其の必ず趨く所に出で、其の意はざる所に趨き、千里を行きて労れざる者は、無人の地を行けばなり。
 攻めて必ず取る者は、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固き者
は、其の攻めざる所を守ればなり。
 故に善く攻むる者は、敵、其の守る所を知らず、善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。
 微なるかな、微なるかな、無形に至る。神なるかな、神なるかな、無声に至る。
 故に能く敵の司命と為る。

【現代語訳】
 敵の必ずやってくるような所に出現し、敵の思いもよらない所にやって来て、遠い距離を行軍して疲れないのは、無人の土地を行くからである。攻めて必ず(砦や城、国を)取るのは、敵の守っていない所を攻めるからである。守って絶対に守りの固いものは、相手の攻めない所を守るからである。
 だから、上手く攻める者(場合)は、敵が、その守る所を分かっておらず、守りが必ず固い者(場合)は、敵が、その攻める所を分かっていないのである。
 微細なことだ、微細なことだ、形がない所に至るのは。神であることだ、神であることだ、声のない所に至るのは。
 それで、敵の運命を司る者となることができる。

☆評釈☆
 前半は、読んでいると当たり前だろう、と思うようなことが対句で展開される。

 しかし、実際の戦場を考えると、敵が現れる場所や敵の予想外の場所へ、千里をものともせず、行軍するためには、人が通らない場所を通過するしかない。人家があるような所を通れば、相手にすぐ連絡が行き予測されてしまう。ピタピタと的を当てるように行軍するためには、敵に知られないようにしなければならない、と述べる。

 次に、〔必ず敵地を落とすには、相手が守っていない所を狙う。守りが固い、と言われるのは、敵が狙わない場所を守るからだ〕という。
 何故そんな馬鹿げた、分かりきったことを孫子は言うのかと思えば、〔攻めるのが上手いというのは、敵が守るべき場所を分かっていない〕とか、〔守りが固いというのは、敵が攻める場所を分かっていないからだ〕と言い換える。

 まとめは、「形」「声」「命」の各句押韻になっていることが指摘されている(岩波文庫『新訂孫子』金谷治訳注)。
 金谷氏のように「最高の境地」とまで言ってしまっても良いかどうかわからないが、この後、虚実編は、「無形」を強く主張している。「無声」は見えないが、形がなければ声も無いのが理想なのであろう。

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