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『花束みたいな恋をした』を観た。

元来映画というものがそれほど好きでなかった私が、久方ぶりに映画を映画館で観た。最後に映画館で観た映画はたぶん、『アナと雪の女王2』だったと思うので、一年は映画館で観ていなかったことになる。幸いにして近年は家で映画をみれるようになったので、わざわざ1800円払ってみることも無くなった。

『花束みたいな恋をした』は、最近の生活にたびたび映り込んでくる存在だった。『勿忘』という曲がこの映画と関係があると知った。『アウトサイダー』は昔アーティスト名も知らずにはまっていた。調布駅の立て看板、YouTubeの広告、好きなアーティストのインスタライブ。
そのどれもを通り過ぎることができずに、恋愛映画なんて、と思っていた私が初めて邦画の、恋愛もののチケットを予約した。

シアター内は若い女性が多かったが、私の近くには映画好きであろう中年の男性が座った。久方ぶりに訪れた映画館は昨今のコロナ事情で煩雑なやり取りが増えていた。

映画自体は、悪い言い方をすると何も起こらない映画だった。ディズニーばかり観てきた私には、魔法も冒険もない映画は久しぶりだった。だからこそ万人に、「これは私の映画だ」と錯覚させるようなものだった。無論私自身もそう思った。とても、よくできた映画だと思った。

涙を拭きながらエンドロールをぼーっと見つめた。シアター内が明るくなった時には、周りの若い女の子たちが「良かったねー!」と爽やかな顔で声を上げながら荷物を整理していた。私は謎の心の重さに支配されながら残ったサイダーを飲み干した。

昨日とは一転して寒い空気も、曇天も、情景描写のようだと思った。
何か買って帰ろうかと思って寄ったコンビニでは、いつもは心惹かれるチョコレートにも、アイスクリームにも魅力を感じなくて、店内をぐるぐるした後諦めて自動ドアをくぐった。
帰り道、まだ咲く気配を微塵も見せない桜並木をゆっくり歩いて帰った。

1週間ぶりに湯船に浸かりながら読んだレビューには、一つの恋の始まりと終わりを体験して、「いい恋だった」と清々しい思いができた、とか。めっちゃ泣いた!よかった!とか。
ちゃんとこの作品を消化できている人の意見が並んでいた。

結局のところ私は、映画の中で本人たちすらきちんと消化した恋の重みを、受け止めきれずにいるのだと思う。 麦と絹どちらにもひどく共感して、あまりにも生々しい痛みを勝手に負って、全くと言っていいほど消化できていない。
お腹の中で重石みたいにずどんと居座っている。

今までいい恋愛をしてこなかったからなのか、ただのフィクションに肩入れしすぎなのかわからないけれど、観終わって6時間たっても痛みは消えないままだ。
ぜひこのnoteを読んでいるあなたにも、この映画を見て欲しい。そしてあわよくばどう思ったか聞かせてほしい。なんとなくそれが、この重さを軽くする手段のように思えるからだ。

今の私には、ここまでしか感想を書けない。また少し時間が経ったら、追記しようと思う。

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