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意図を持って動きたい~大事なものを大事にするために

朝、目覚ましがなって起きる。
ソシャゲのログインをして目を覚まし、ストレッチ、トイレ、シャワー……だいたい決まっている定番のことを片付けながら、朝ごはんに何を食べようか、と考える。
多分、日々の生活の中ではこの、朝ごはん何を食べよう、のところではじめて、意図が顔を出す。

意図について、ふと考えた。
前から思っていた気もするし、こうやってまとめて考えてはじめて、ようやくピントがあった気もする。
ちょっと「意図」の意味を確認してみる。

意図
1)何かをしようとすること。
2)何かをしようと考えている事柄。おもわく。もくろみ。

デジタル大辞泉

うん、思ってる感じの意味だった。

何かをしようとするとき、意図が生まれる。
今日の気分で朝ごはんを食べようと思って、意図が生まれる。
冷蔵庫にある、朝の短い時間で用意ができるものの中から、選ぶ。
シャワーを浴びているときから、意図は動き始めて、何を食べようかと考えている。いざ準備ができる段になったら、動く。

意図はいるものだなぁ、とつくづく思う。

私は仕事上、他者と話すときにどうにか意図を含めようとしている。
というか、なんとなくの流れで話すのを減らそうと訓練している。

話す際にはなんとなくのルールがある。そのルールが強く出てくるとき、意図なく話している。
例えば、質問と答え、のような、セットになっているとき。つい、質問に応じるように意図なく答えてしまう。
意図なく返しているときには、定型のやり取りにはまりこんでしまい、目の前の人と今やり取りする意味は十分に検討されなくなってしまう。

意図なく動いているとき、私は何かを取りこぼしている。
それは目の前の人と今やり取りする意味という複雑なものだったり、うっかりどこかに置いてなくしてしまったペンというささいなことだったりする。

質問にただ答えるのであれば、その背景にある困難は触れられずに終わってしまうかもしれない。実は自信がないから質問している、その自信のなさがいつまでたってもぬぐえないかもしれない。
それよりもっとささいなことだろうと、ものの置き場という意図が作れなければ、繰り返しなくすことに私は自信を無くすだろう。

ずっと意図的に動くことはできないけれど、取りこぼしたくない、大事だなと思うところは押さえておきたい。

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