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SMプレイで死にかけた話


「服全部脱いで土下座しろ」

男性が言う「萎える」という言葉はこういう時に使うのが正しいのだろうか。
ホテルに入室するまでを頭の中でぼんやりと振り返って、ああこのホテルは部屋の出入口で精算しないとドアが開けられない仕組みだったなと考える。

独房の小窓のような受付がある、昔ながらの雰囲気が漂っている作りの古いそのホテルは多分料金の踏み倒し対策としてそういった精算方法を採用しているのだろうが、今は殺人現場を成り立たせる要素に成り下がってしまっている。

渋谷の某ラブホテルで会って10分の男が私に冒頭の言葉を言い放った。
もちろん直ぐに後悔した。貞操観念の緩い自分の愚かさを数年ぶりに実感する。
世の中にはマゾヒストやサディストという分類の人間が存在していて、私たちはそういう人間らが集う
怪しい掲示板を経由して出会った。
俳優の椎名桔平を痩せさせて、若くして、身長を高くしたような風貌のその男をAとする。
Aは全身で「俺はモテるぞ」「女の扱いを心得ているぞ」という主張をするタイプで、一挙手一投足がいちいち目障りだった。

正直、いざ事が始まる前に急遽決まったのだという会社のWeb会議をしている姿を見ている段階で帰りたい気持ちがふつふつと浮かんできていた。
私はエビデンスとかコミットとか何to何とかアウトプットという類の言葉が苦手で、そういう言葉が飛び交う場も多用する人間もあまり好きではない。英語が分からないし、日本語でいいと思うからだ。
現に会社の意識が高くないおじさん達は日本語で仕事をしている。

一方Aの会社は多分総合商社とかそんな感じの意識高い感じのよく分からん会社で、イヤホンを挿したAの口から発せられる横文字ビジネス用語の中にそこはかとないドヤを感じていたその段階で仮病で帰るべきだったのだ。

全裸土下座要求の前にアザが残るほど腹を殴られていた私は心が折れかけだったのと、この男を刺激していい結果に繋がらないと考えてベッドに腰かけるAの前で膝をつき頭を下げた。
学生の頃働いていたコンビニでガチ切れしたお客様に「死ね」「土下座しろ」と言われた時も私は頑として頭を下げなかったのにだ。
足で頭を踏みつけられ、地面とキスしながら私は人生の意味について考えていた。私たちの生きてきた概算で30年はなんだったのでしょう。人はなぜ生きるのでしょう。

足を退けたAの顔を見上げると少し満足気にしていて
私は軽く胸を撫で下ろした。
そこからは人との距離感を測る能力のないAの独壇場であった。
彼の意にそぐわないことを言うと、一瞬真顔になった彼が針のような平手打ちをかましてくる。
謝罪と共に言う通りにしておけば彼はにっこりと微笑むのだ。
こんな時はもう、風俗店でハズレを引いた男性客と同じマインドになるしかない。
目を閉じ、頭の中に大好きで仕方なかった元恋人を思い浮かべる。
目付きが鋭く性格がキツそうな彼の顔を、小さい割にゴツゴツした手を、細いシルエットにぎゅうぎゅうに筋肉が詰まった腕を、ああ、会いたいよ𓏸𓏸。元気にしてるか?コンビニ弁当以外も食べてるか?新しい恋人や友達とはうまくやってるか?

殴られまくった頬が熱を持ってじくじくと痛む。
私の上に乗ったAが腰を動かしながら頸動脈を指先で探している。
悪趣味な色のライトに照らされた端正なはずの顔立ちはなんだか酷く歪んで見える。
場数を踏んだその手は私の意識をゆっくりと落として、意識が途切れる寸前は目を開けているのに視界が真っ暗で彼の声もあまり聞こえなかった。
痺れた自分の手には上から力をかけた彼の腕を振りほどく力は無くて、触れるくらいしかできなかった。

「死ぬのかな」
「死ぬかもな」
「怖いかもな」
「まあいいか」

落ちる寸前、そんなふうに考えていた。走馬灯とかは別になかった。

端から命乞いしてまで守りたい命ではなかった。
判断を誤ってネットで出会った男に殺されるのも、いかにも頭の足りない現代人のようでそんなのがお似合いだとも思った。

自分が死んだらAは通報なんかせずに立ち去るだろう。
いつまで経ってもチェックアウトしないことを怪しんだ従業員がマスターキーを使って中を見るとクーラーでキンキンに冷えた部屋で、全裸で馬鹿面を晒し死んでいる私を発見する。
そんな現場に呼びつけられた警官は心を痛めることなく、心底呆れたという顔で事情聴取とかをする。
「やば笑」「ガチ?」「渋谷のらぶほで人死んでるくせーわら」
現地の若者のLINEやSNSで少し話題になり、ネットニュースではまた死者を全然偲ばない「ネット民」の皆様の高尚な意見と共にまた少し話題になる。
出世街道に乗っていたAは少しして捕まり、会社の女子社員の間でヒソヒソされたりして刑務所でいじめられながらひっそり生きるのだ。

Aの夢枕に立った私は発狂寸前の彼と少し対話をする。
お前なんかと出会わなければ良かったと喚き散らすAを見て、私は土下座して顔を上げた先にいたAと同じ顔で笑う。狂いきれなかったお前の負けだ。


ということは全然なく、肝を冷やしながらピロートークをして、次はいつ会えるのかとにこやかに話すAに嘘の住まいを伝えて帰りの道中「買い物がある」とまた嘘をついて私は渋谷の雑踏の中に逃げ込んだ。

SMプレイは相手を選んで計画的に。

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