見出し画像

Nくんについての話

ひとめ‐ぼれ【一目×惚れ】
読み方:ひとめぼれ
[名](スル)一度見ただけで好きになること。「受付嬢に—する」
出典:デジタル大辞泉

愚かしい。
「人は見た目ではない」「重要なのは中身だ」と皆が豪語するのに、こんな概念が存在すること自体矛盾している。
大体、相手にはどう説明するつもりなんだろうか。「一目惚れなんです」と言うのだろうか。言われた相手は愚かだと感じないのだろうか。
色恋沙汰にほぼ縁がなかった私は、もちろん一目惚れというものについてもこんな感じで斜に構えていた。
そんなもの少女漫画の中にしか無いと思っていたし高校時代にイケメンをこじらせて他学年から女子が見に来るような同級生もいたが、私は全く好きではなかったし、イケメンだなぁとは思ったがそれ止まりだった。

ところで通っていた専門学校は大学とかとは違って基本的に自分の属する学科のメンバーだけで授業が回るのだが、何コマかは合同授業があった。
その合同授業のオリエンテーションの日、Nくんは初日なのにもう遅刻してきた。
私の席は教室のドアの隣で、特に遅刻して申し訳ないとか気まずいとかは思っていなそうなドアの開け方をしたNくんの姿を間近で見た。180くらいの長身に、切れ長の目、細い鼻筋、さらさらとした栗色の髪という出で立ちで彼は来た。
今さっき部屋の地べたから拾いましたみたいなヨレヨレのTシャツに細い脚をパツパツのスキニージーンズに包んでいた。

この日に遅刻した人間は彼一人だけだったのでこの男がNか、と思いそこで思考停止した。
その場で自分の感情を「一目惚れだ」と処理できなかったし、そもそもこの時はまだ前の恋人と破局して1ヶ月くらいしか経っていなかったのだし。

皆の自己紹介も先生の経歴や授業紹介もなんとなく上の空で聞いていて、PC越しにNくんの斜め45°からの顔をチラと見ているうちにオリエンテーションは終わってしまった。
ちなみにNくんの自己紹介は耳を立てて聞いていたが、ボソッと名前を言って終わりだったし声が小さくて聞き取ることが困難だった。

Nくんの所属する学科との合同授業は週に数回あり、隣の席で仲良くなったYちゃんとNくんが親しかったのもありなんとなく3人で行動することが増えた。
通常ならYちゃんに対してモヤモヤする所だろうが、生憎Nくんと2人きりになると緊張してまるで会話ができない為Yちゃんの存在はありがたいものだった。

とはいえ、Yちゃんは美人だった。見た目は派手だがカラッとした性格で、優しく、おまけに年上で、私がやっとのことで苗字にくん付けで呼ぶNくんのことを当たり前のように下の名前で呼んでいた。
今考えるとYちゃんとNくんは多分普通の友達で私だけがありとあらゆる妄想に囚われ勝手に病んでいただけだと思うが。

話を戻す。

Nくんは少々ダメ男の気があった。かつて幸せの青い鳥が運営していたSNS上に知り合いかも?的なノリで表示されていたNくんのアカウントからもお世辞にも健康的ですねとは言えない生活が垂れ流されていた。
彼は学校の近くで一人暮らしをしていて、お坊ちゃま育ち故に皆のようにバイト三昧にならずとも生活ができる立場だったのに出席率や課題の提出率は低かった。
夏休みはパパの別荘で悠々自適に生活していた。すげ〜

よく放課後の教室で彼の課題を手伝った。学科が違うからやることは少し違ったが、1年目の内容はまだ理解できる範囲内だった。
夕日に透ける彼の赤い髪を今でもよく覚えている。
ソシャゲに勤しむ彼の隣でPCに向かい雑談をし、特に何も頑張っていない彼も一緒にタバコ休憩を取り、なんとなく帰りは一緒に帰った。蜜月であった。

だが結局告白もせず、そのうち勉強が専門的な分野になるにつれ合同授業も無くなり顔を合わせることはほぼ無くなった。
他に恋人ができたりしているうちに彼のことは忘れ、最後に見たのは文化祭の出店で無表情にフランクフルトを売っている姿だった。
「おう」
と一言挨拶をしてきた彼は、相変わらず据わった目をして人生が何も楽しくなさそうな顔で仕方なくその場に居させられていた。
彼のようなタイプはその後の人生で数人見たが、誰も皆全てのことに関心が無さそうで、だが「やりたくない」「嫌だ」という意思を伝える為のコミュニケーションすらも嫌で、一番人と話さなくて済む所に静かに居た記憶がある。

教室にいる時も派手目な男子集団の中で同じ顔をしていたのを思い出す。
各々が女の話や授業の話で盛り上がる中、彼だけ据わった目で虚空を見つめていてひどい時はイヤホンを片耳に挿していた。たまに
「なあ、N?」
と話を振られてもほぼ確定で"うん" "おう"のどちらかの返事しかしない。
あの眉目だというのに女子と会話している姿を見たことがなく、チャラついた外見と裏腹に究極的に人嫌いな所がなんとなく魅力的だったのだ。
SNSを見ても学友と遊んでいるような様子はほぼ無く、その代わりに正体不明の外国人とかとはよく遊んでいたようだ。

やがて時間差でYちゃんが連絡が取れなく学校にも来なくなり、NくんはSNSアカウントが消えやはり学校には来なくなり、私も退学した。
YちゃんもNくんも少しばかり闇の深い人だったので、あまりびっくりしなかった。

それ以降加速度的に私の人生はおかしくなったが、人生で一度でもあまりにもベタな一目惚れや色恋沙汰の浮き沈み的なものを経験できてよかったと思っている。
学んだことは、深入りしなければ何も知らずずっと好きでいられるということだ。
この事実はこの先の人生において嫌という程痛感していくことになる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?