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フリースタイルで生きたい

どうも、一休誰絵です。筆が捗らない気がしますが、個人でつけている日記を書く前に、殴り打ち込みで最近思ったことを。

つい先ほど、半年くらい前の自分の投稿を見ていたのですが、まったく面白くありませんでした。少ししょんぼり、書いている時は「うおお〜〜面白いじゃん自分の文章」なんて思っていた。テンションハイになって、勢いのままに「投稿」ボタンを押すのです。しかし、現在、テンションは凪の状態。あの勢いは虚無だった。つらいですね。

そうそう、最近、遠藤周作の「私は私、これでよし」というエッセイ集を図書館から借りてきて読みました。先に読んだ父親は「なんかつまらなかった。けれど、一休誰絵は好きかもよ」なんて言ってきて、もう大作家さんに失礼じゃないか、と思いながら読んでいました。面白かったけれどなぁ〜 進路について考えあぐねている自分に刺さるものがそこそこにあって。

そう、進路ね。周りがどんどん決まっていって久しいのですが、まったく決めていない。ストレートに大学卒業をした同級生はすでに社会人2年目で、そろそろ転職なんて考えているのかしら。対して自分はまだ学生のままで、時々焦ることはあるのですが、浪人を決めた時と、休学を決めた時にいやというほど覚悟をしていたので、この焦りに対して、深く悩んでいるわけではありません。

ただ、これまで仲良くしていた友人との会話が少しずつ噛み合わなくなってきた。友人たちは「仕事のプロジェクトが云々」とか、「とある会社から誘われているんだよねぇ」とか、「ほかの友達と飲んでいて、年収の話がだんだんNGになってきた」とか。あと結婚の話とか。
なんとなく、友人たちが損得勘定というか、「いかにコスパ良く生活するか?」みたいな考えのもと生きるようになり始めているように見えて、少し切なかった。みんな忙しいし、休日はアクティブに生活ぅ!平日はゴリゴリ働くぅ!みたいな。羨ましいけれど。

でも、そんな焦りというか周りがどうこう、という理由で就職活動なんて再開してたまるか、とかよく分からない反抗心があるのは確かである。

そうそう、それに関連して。私は新卒一括採用活動の中で揉まれることを諦めた身ではありますが、例えばフランスのように「自分が働きたい時期に働く」といった、自分主体のキャリアの作り方に憧れを持っています。(よくも悪くも、ですが)日本のキャリア作りって、なんとなくですが年齢に沿って、ある程度決められたロールモデルに沿って展開されているイメージを持ってしまっています。就職していないくせに何言ってるのだ、という話ですが。自分がそれに飲み込まれるのが目に見える。だから、という理由もあって、新卒就職活動時代から、もう自分が働きたいと思える時が来たら、各種活動をしていこう、と思っています。

こんなことを言うと、「転職でさえも難しいのに」とか「一回、分からなくても飛び込んでみたらいいのに」とか「新卒を逃したら詰むぞ」という反論もあるかと思いますが… 2回の新卒就職活動を終えて得た知見ではあるのでね…私の考えも、一つの価値観である、と思ってもらえばいいのかな、と。

ああそうです、最近は私の3つ回りくらい上の世代の方々から、やれ「新卒で正社員として働かないなんて勿体無い」「親不孝や」「せっかくいいところの大学を卒業するのに…」(ちなみに私が現在通っている大学は元・名門校です。元、です。今は違う)「もう一度、よく考えてみてよ」とかあれこれ言われる機会が格段に増えました。そりゃそうだ、その世代の方々からするとあり得ないことをしようとしているわけだからな。
たしかに、親不孝です。日本国民三大義務の一つ「労働」を放棄しようとしているのですから。

そうか、レールから外れようとすると、大きな逆風が吹くのか。その逆風の強さや痛さは、卒業後になってから明らかになっていくはずですが、今でも大きい。あれこれ周りから言われたとき、初めこそ心痛めることが多かったのですが、現在は「まるで自分ごとのように心配してくれているし、そこはありがたいな」と思っています。

そんなことを考えています。もっと、飄々と生きさせてほしい。フリースタイルで生きたい。





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