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社会不適合者【書く習慣1ヶ月チャレンジ:Day 25】

どうも、一休誰絵です。はあ、授業って大変ですね。

本屋で見つけました

これはとある書店に行った時のことです。ぶらぶらぶらっと本を眺めていたところ、「〇〇書店でこの本を取り扱ってほしい」という企画コーナーが展開されていました。
具体的には、匿名式で「こういう本を探しているんだけど」という要望を紙に書いて、それをボックスに入れるもの。そして、もらった要望の紙が壁一面に貼られ、書店側が返答してくれたり、その要望の紙を見たお客さんが返答を書いてボックスに入れる、みたいな感じ。あ、あれです。スーパーでよく見る「お客さまの声」を、おきゃくさんも回答に参加できる、書店バージョンにした感じです。

「ちょっと癒される本はありませんか?」とか「〇〇を置いてほしい」という要望が書かれたカードがババーっと貼られており、中にはお客さんに返答を求めているものもありました。

生きる術

それをぼーっと眺めていたところ、
社会不適合者の生きる術
というカードを見つけました。ちょっとしんどそうな字体でした。

うーん、大丈夫だよ、とかあんた1人だけじゃない、とか月並みなことは書けるのですが、どうも的外れのような気がして。その時は、何かを書きたいと思いつつ、何も書くことができませんでした。

そういえば、私も節々に「社会とソリが合わないな」と思うことがあります。

今まで生きてきた23年間、私は優等生という目で見られることがそこそこ多かったのです。例えば、人と会う約束をしている時に遅刻しそうなら必ず連絡を入れる、とか、アルバイトを飛ばない、とか、課題を締切に間に合わせる、とか。中学生の体育の授業では先生に言われた通り大声を出してラジオ体操をする、とか(福岡ならではの風景かも。いつか記事にしますね、大変面白いので)、授業もしっかり挙手して発言したり、とか。

けれど、昨今の就活セオリーに納得がいかなかったり、納得いかない内容の仕事(どう見ても工数が無駄なものとか)には手をつけることができなかったり、お酒の場は下戸ゆえにめったに参加しないし、下戸ゆえに夜の飲み会に誘われる頻度がぐぐぐっと減ったり。みんなとBBQするよりかは1人旅する方が好きだったり。ちょっとしたところで、社会とソリが合わないと思うことがあります。

でも、全部が全部社会とソリがあったらそれこそ個性が失われてしまうのかも。今じゃ、下戸であることはアイデンティティだと思っています。みんな酒ガバガバ飲めたら経済は回ると思うけれど、舌は回らなくなるし、せっかく美味しい食事がお酒のおつまみありきになってしまうし。ちょっと強がりなことを書きましたが。

ソリが合ってしまったら、犬になってしまう。たぶん、ソリが合わないな〜という部分は何か裏に、はっきりとした理由があると思う。

だから、ちょっと生きづらい部分があったら、それは案外自分を形作っているアイデンティティかもしれない。そう考えると、ソリが合わない部分だらけなのは、むしろちょっといい具合に尖っている愛嬌でもあるんじゃないかとも思えてくるわけです。

だから、社会不適合者も悪くはないのかもしれません。「悪くありません」という言葉は”開き直り”に聞こえそうですが、それよりかは”受容”に近い感覚です。

はあ、深夜に書くと論理的に合わない文章が展開されますね。数学科ゆえに、自分で文章を書きながら「論理的にこの文章は合わないな〜」なんてところは気付きやすいのです。それより以前に誤字脱字をなんとかしろ、って話ですがね…ふふっ

今日はここまで。




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