見出し画像

感情の捌け口が欲しい…

井田幸昌さん(画家)の『100年後への置き手紙』という本を読んだ。

興味を持ったきっかけは、ご本人からするとあまり喜ばしくないことかもしれないが、
先日ある一連のツイート(現在はXのpostというべきか?)で怒りを露わにしているのを拝見したからだ。
私は怒っている人を見かけると、なぜそんなに腹を立てているのか理由が知りたくて気になってしまう習性がある。首を突っ込むと危険かもしれないし、理解しようとすると私が途中でバテてしまうので、あまり深く入り込まないようにしているが。

おすすめのTLに急に現れたこの方はなんでこんなに怒ってるんだろう?と思って、プロフィールを見ると画家の方であることがわかった…。(この一連のツイートの内容に関しては、私がここで話したいことと関係無いので触れない。)
そして、私の大好きなピアニストの角野隼斗さんがアカウントをフォローしておられた。

…そうだ、以前NYかどこかのスタジオでセッションしてらっしゃった方だ!と記憶が結び付いた。

描かれた作品の印象から、もっと尖った方なのかな…とちょっと思っていたけれど、紡がれた言葉からは、(烏滸がましいけど)親近感すら感じた。


ここからは自分語りになる…

私も怒りが生きる原動力になっていた時期がものすごく長かった。
"自分以外みんな敵"と思っていた時期が割と最近まで続いていた。少し変わったのは、40を過ぎたという年齢のせいもあるかもしれないが、両親が他界したのが大きな理由だと思う。

私は一人っ子だし、喧嘩は絶えなかったが両親も揃っていて、多くの愛情も注いでもらっていたと思うけれど、とにかく親の言うことを聞けない全て跳ね除けるような娘だった。
自己主張強めなのに表に出す術が見当たらなくて、自分でも自分を持て余していた…今もまだそんなところがある。

父と母は美大時代の先輩後輩。アート全般に造詣が深かった(?)せいなのか、私が絵を描いても、ピアノを弾いても、書道をやっても、いつもダメ出しが入った。よく言えば不器用な娘を思う的確なアドバイスだったんだろうけれど、当時の私には鬱陶しい以外の何物でもなかった。何をしても自由にやらせてもらえないという思いが募って、物心ついた時からもう八方塞がりな感覚があった。
だからどれもそこそこできるけど、どれもあんまり好きになれなかった。

強いていえば、当時は(親が比較的疎い)書道が一番好きだったかもしれない。でも、進級試験とか展覧会とかはやっぱり嫌いだった。普段はうまいうまいとすごく褒められるのに、人と競う場面になると私は萎縮して全く本領発揮できないし、賞を逃すとさらにまた母にダメ出しされるからだ。

ピアノは母から「ママの頃は習いたくても習えなくて、紙の鍵盤で練習したりしてたのよ…」などと散々言われて、私の意思とは関係無くとにかくやらされていた。周りにも習っている子が多くて、ピアノは習い事として当たり前みたいな状態だったから疑問も持ったことがなかったし、母の続けさせたい願望により、やめさせてももらえなかった。
まあ、ピアノにはその後の人生をだいぶ助けてもらっているので、結果的には良かったのだが、好きでやっていたかと言われるとわからない。

絵に関してはもはや論外だ。
小学校の頃、絵や工作の成績はものすごく良かった。夏休みの絵日記の絵もものすごく上手だし、宿題で作ったり描いたりした素晴らしい出来の作品は学校に取り置きされたりもした。でも、それには全部親の手が入っていた。物によってはほぼ親が作ってたりもする。私が完全に1人でやったものじゃない…というのが許せなかった。褒められても全く自分が褒められてる気がしなかったし、こんなことがずっと続くなんて考えたら最悪だ…と思った。それなら私は音楽の道に進む!と、大して好きでもないピアノを選んだくらいだ。

一応「優等生」的な立ち位置で来ていたので、それなりに勉強もできないといけなかった。
中学受験でまあまあの所に合格したけど、そこに至るまでの母娘の壮絶なバトルと言ったら…思い出すのもおぞましい。
大学留学も、自分からアメリカに行きたい!とキラキラした思いのようなものはひとかけらもなくて、特に何を勉強したいというのもなく、一浪しても受けた大学全落ちして完全に行き場を失った末、瀕死の状態で行き着いた進路だった。

だから履歴書的には、表面上真っ当に、なんの苦労もなく、まあまあ立派な感じに整っているように見えるが、私としてはそれを保つためにやり場のないものすごい不満と葛藤を押さえ込んできた結果であって、人からは褒められても居心地悪かったし、いつも何かに怒っていた。

そんな風にいつもものすごい怒りパワーが体内にたぎっていたのに、発散する術が見当たらなかった。
大学でピアノを専攻していた時だけはベートーヴェン、ブラームス、ショパンの激し目の曲などを好み、そういう曲の練習で鬱憤を晴らしている部分があったのだが、社会人になると今度は体内の鬱憤を無視するように仕事に没頭するようになった。その上さらに組織の中で働くという別の意味でのストレスも溜まるようになる。
ほんの少し趣味で音楽をやるような場面もあったが、その程度では体内の鬱憤を晴らすほどのことはできず、溜まる一方だ。

じきにその内側に蓄積していく怒りパワーが自分自身を蝕むようになった。
そしてしばらく鬱状態に陥るのだ。

その後数年間は、しばらく休んで調子が良くなると再び会社で仕事をし始め、ただ根本的解決がされてないままだから次第にまた同じように鬱憤が溜まり、再び身体が動かなくなって仕事を辞め…というのが繰り返された。

生活のために仕事するのも大事だし、ずっとそうしなくちゃいけないと思ってたいたが(実家には絶対に戻りたくなかったので)、それ以前に自分が本当にやりたいことをやって行かない限り、きっと私は永遠にこんな生活を繰り返す…と思った。

ただ親が生きているうちは、「私は仕事をやめて実家に戻って好きに生きます」なんて言えなかったし、踏ん切りも付かなかった。
もういい加減この不毛な繰り返しはやめよう!と腹を括ったのは40過ぎて親が他界してからだ。

ただその後しばらく経った今でも自分が本当はどうなりたい、何がしたいかわからない。
いや、わからないというより、きっと心の奥底ではわかってるのに、そこに本気で向き合うのが怖くてわからないフリをしてるだけかもしれない。
ただ確実なのは、いつも同じ時間に同じ場所に通って仕事する…というのはもう絶対にできないということと、私はなんらかのアーティストでありたいという漠然とした何かだけだ。
それに、、これまで人を頼ることを悪だと思うようなところがあって1人で全部やろうと頑張りすぎてきた感があるから、人と一緒に生きていくことも経験してみたいとも思う。


あれこれそこそこできるけど、どれも突き抜けないし、好きかどうかもわからない…
というのと、
体内にぐるぐると巡る思考の捌け口が無い…
というのが、ずっと平行線を辿っている。

でも井田さんの本を読んで、わかったことが1つあった。
彼はもちろん絵で表現する人だけれど、
ブレインストームのような走り書きの文章も、ああして書き出してみれば立派に1つの作品になっている…と思った。

私は突き抜けたものは何一つないけど、
絵も書も音楽も、そして文章も…
少しずつ表現方法を持ってる。
それぞれは拙くても、組み合わせれば何か作品らしきものになるかもしれない。
むしろこれだけ持っててもなお、「表現する術が見当たらない」とか言ってる方が怠慢で贅沢な悩みってやつなのかもしれない。。


それでもなんだか身動き取れない感じがするのは、ありもしないうちから他人からの評価に恐れているだけなんだと思う、、たぶん。
他人はどうでも良いんですよね…
自分がやりたいかやりたくないか。
体内に鬱積させたまま常に不機嫌で一生を終えるのか、なんらかの形にして外へ昇華させて行くのか…。それでもし少しでも人が喜んでくれたりしてくれたら嬉しいけど、ひとまず今はそれ以前の話だ。

まずは、表現の術が無いのではなく持ってるのに怖くて使えていないだけ、というのを自分にちゃんと理解させよう。。

井田さんの存在とこの本に今出会ったことに意味があったと思う。
少し背中を押してもらえた気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?