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「確かではないもの」

さて、note初っ端から始まった「確かなもの探し」は、「認識する側の自分自身は確かにある」という結論に落ち着きました。
少なくとも僕が生きている限りは、対象を認識している「僕自身」はある。
それだけは確かだと。

無理はしないことだ。

というと?

頭痛。

あ、あぁー頭痛ね…
実はちょっと今日は曇っているからか、頭痛がきていまして…orz
天気が悪いと頭が痛くなることがよくあるんですよ…
まぁでも、今回はそこまでひどくないから大丈夫です。
昨日の続きの「確かじゃないもの」の話に移りましょう。

まずは「確かなもの」である「あなた自身」についてもう一度確認しよう。
あなたが昨日話したことを思い出してごらん。

「僕自身」についてね。
えー、その「僕自身」というのは、現実や体験を「認識している側」のことです。
ただ、一般的に「自分自身」という言葉には外見や性格などが含まれると思うんですが、今僕の言っている「僕自身」というのは、それらを含みません。
というのも、外見も、性格も、思考も感情も、すべて「認識される側」だからです。
そういった認識される対象を常に認識している側を「僕自身」とかっこ付きで表現しています。

では、「認識される側」は「確かなもの」ではないのだね。
あなたの体や性格、思考や感情。
あなたの体験している現実、そして記憶も。

そうですね。
それらはすべて、変化したり、なくなったり、あやふやになったり、間違ったりします。
だから「確かなもの」とは言えません。
もちろん、「確かなもの」と言えないだけで、それらが全部嘘だとか、幻想だとか言うつもりはありません。
単に「確かなもの」とは言えないというだけ。

…?

あれ?何にも返ってこない。
やっぱ体調悪いからかな(T_T)
仕方ない、じゃあ今日はとりあえずここまでにします。
進展あったらまた書きますね。

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