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”無名選手”から1日にして有名選手へー新田颯という人

こんばんは、ライター修行中のAikaです。
個人的な事情(連勤疲れ)につきブログお休みが続いていますが、本日は少し元気なので書かせていただきます。

本日は歴史に刻まれる学生連合の星、といっても過言ではない前回箱根のスターの1人、当時育英大学4年の新田颯選手についてです。

新田選手は第99回箱根駅伝の学生連合主将を務め、1区を走り、区間3位相当(オープン参加のため参考記録)で走るという、学生連合の選手として稀に見る驚異的な活躍を見せました。

参考記録となる区間順位もさることながら、そのレース展開もまた、見る人を驚かせました。

全大学がスローペースで団子状態となっている中、たった1人で迷いなく飛び出し、1区残り1kmまでひたすら先頭を走り続けるというまさに記憶に残る走りをしてみせたのです。

競馬を知る方の間では、大逃げ戦法で有名馬を押さえた競走馬にちなんで「パンサラッサのようだ」とも言われています。
(ご本人も自分の練習を後から「パンサラッサ練習法」と命名しており、認知しているようです)

新田選手が陸上を始めたきっかけは、中学時代、ハンドボール部に所属していた際に体力づくりの一環で陸上の練習にも出ていたことだそうです。
本格的に陸上の道に進んだのは、千原台高校に進んでからでした。

高校時代、目標にしていたインターハイにはなかなか行けなかったものの、早朝5時からの朝練で、メンタルが鍛えられたのだとか。

新田選手が育英大学に惹かれたのは、「一緒に歴史を作らないか?」という当時の総監督からの独特の誘い文句でした。
強化し始めたばかりの育英大学ならではの誘い方かもしれません。

1年目から箱根駅伝予選会を走ったものの、最初は大学のレベルの高さを見せつけられるばかりでした。
それでも育英大学で学生連合に選出された先輩の外山選手の練習を真似して、アレンジしていくことで、成長を遂げて行きます。

4年目には育英大学陸上部の主将に選ばれ、5000mでは13分台、10000mでも28分台をたたき出し、箱根駅伝出場選手とも肩を並べる強さへとレベルアップしていきます。

箱根駅伝予選会では個人33位となり、学生連合の選手に選ばれます。
1区を走ることは、本人の強い希望だったそうです。

「集団で走って最後スパートするのが得意だったので、集団で勝負できる1区を走りたかったです。また育英大学を宣伝したいですし、自分自身、名前を覚えてもらいたいと思っていました。テレビに映りますし(笑)。育英大学は4年間、僕がずっと走れなかった時から周りの方が応援してくださったので、恩返しをしたいと思っていました」

https://4years.asahi.com/article/14837111

レース展開はまさかの1人飛び出しでしたが、本人の言葉通り1区で育英大学を宣伝し、名前を覚えてもらったことは間違いないでしょう。

たった1人、1区間でも恩返しの走りがしたいとここまで強く思えるところは責任感の強さも感じます。

新田選手は学生連合でも主将を務め、「区間賞を狙う」と宣言していたそうです。
その言葉通り残り1kmまでは1位を独走していましたから、「学生連合初の1区区間賞相当を狙えるのでは?」と解説や実況でも言われていました。

結果的には最後に足の痙攣により失速したところを明治大の富田選手と駒沢大の円選手に抜かれた形となってしまいましたが、それでも区間3位相当の走りで見事、人々の記憶に刻まれるようなレースをしてみせたのでした。

この活躍により、育英大学の名は何度も実況で呼ばれ、大学のホームページがサーバーダウンするほどの人気ぶりを見せました。

新田選手自身も箱根駅伝後、多くのラジオ放送やインフルエンサーのYouTube動画に呼ばれ、一躍時の人となったのでした。

新田選手への多くのインタビューの中でもボリュームの多い神野大地さんによるスペシャル対談を載せておきます。
※全部で3本立て

新田選手の話を聞くと、彼の知的さも感じられますね。

本人曰く、”無名の選手”から一躍有名選手にジャンプアップした新田選手。
その裏には人の良いところを真似しながら試行錯誤するという姿勢を貫いてきたという考えの深さがありました。

新田選手は大学で陸上競技を引退し、今後は母校のサポートや市民ランナーとして活動していくそうです。
今後の育英大学の活躍も、新田選手の市民ランナーとしての活躍にも期待したいですね。

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