対峙する

さてと。
最近思うことを。

何度か書いたことはあるけれど、書くたび、考えるたび、私の気持ちは変わるから、今書いているこれが最新の私の状況と考えだ。

最近名前の変わったSNSのこと。
他にも色んなSNSはあるけれど、あのSNSについて、だ。

毎日何かを発信し、それ以上の情報を得ている。
毎日コメントでやり取りする人もいるし、たまに、の人もいる。1度きりの人ももちろんいる。
言葉は交わさなくとも、ハートを送り合うだけの人も。もちろん見ているだけの人も。こちらからもあちらからも、だ。
公式のそれもあって、表立っては言わない事も発信していたりして、とても興味深い。

でもね、時に恐怖も感じたりする。
匿名だからこそ、できる発信もあるし、匿名だからこそ容易に言えることもある。
発信する際は本当に大丈夫かな、と確認する毎日だ。

この小さな四角い箱の向こうには、数え切れない人とその周りの世界がある。

楽しさや面白さを分かち合ったり、自分が経験できないことを分けてもらったり、知らなかったことを教えてもらったり、見れない景色を見せてもらったり。
時には愚痴を吐き出して、誰かに救われたり。
このスピード感溢れるSNSをどう扱うのか、日々試されている気がする。

箱の向こうの人と言うよりは、結局そこに対峙するのは、それを使う自分であり、
実のところ自分と向き合うことになるのだと思う。

匿名であれ、読んで、見て、いいな、と感じた人は、私にとっては既に近い存在なのだ。

毎日の生活やその人の人生の中でSNSが占める割合なんて、本当に微かなもの。
それでもそのSNSがなければ、かすりもしなかった存在が、そこで引き寄せられて、少しだけ重なる。
切れるのはとても簡単なはず。
それでも今日も繋がっていられた。
お互いが同じ気持ちでいるからだと思うのは、少しおこがましいだろうか。

使い方次第では凶器にもなり得ることは、色々な場面で見聞きしてきた。
それでもまだまだSNSが無くならないのは、引き寄せられた存在同士が見つけ合って、分かち合って、励ましあって支えていく為なのかもしれない。
ほんの微かなものであっても、積み重なることで大きくなる。

そんな大げさなものでなくとも、
何かを聞いた時、見た時、ふっと思い出す存在がいたら、それだけで意味はある。

最近、そうやって思い出す存在が多くて私はとても嬉しい。
と、これが一番書きたかったのかもしれない。

2023年8月8日の朝8時少し前。
台風6号が九州の近くにいる。

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