見出し画像

初音ミクのファンとは? が少し理解できたというお話


初音ミクってご存知でしょうか。
かくいう私も深くは理解していません。
vocaloidっていう機械音声ソフトでしょ?という認識でした。少なくとも先週までは。

高校生の時、当時まだ登場したばかりのニコニコ動画(以下:ニコ動)にどハマりしていました。ですのでそのまま自然に初音ミクの楽曲にも触れました。「メルト」という曲を初めて聴いた時「これはすごい!」と思いました。自分が出せない高音でも、音痴な人でもアイデアがあれば歌声付きで曲を世に出せるのですから。

それからというもの、次々にニコ動でリリースされる初音ミクの楽曲を聴き漁りました。今思えば、この時期が1番vocaloidに触れていた時期でした。

やがて大学受験→大学生活→社会人→結婚と生活環境が変わるにつれ、vocaloidやニコ動との距離も自然と離れていきました。こういう同世代の人、多いんじゃないでしょうか。

数年前、spotifyでvocaloidの曲が聴けることを知り再び接点を持つことになりました。ニコ動で聴いていた時代よりもっと流暢かつエモーショナルに歌っているように感じてびっくりしました。そんな中、「マジカルミライ」のチケットが販売されていることをTwitterで偶然目にしました。

マジカルミライとは一言で言うと vocaloidのライブ です。初音ミクとその仲間たちが2時間ステージで歌うのです。

最初は「?」というのが  率直な印象です。機械音声のライブに行ったところで、観客は何を観ることになるんだ?と思ったのです。しかし、コロナ禍で「体験」に飢えていたことや、会場である幕張に近いところに住んでいることもあり私はチケットを購入しました。何かの話のタネになれば、程度の考えでした。

会場に足を運び、全てに圧倒されました。
物販がすごい。
展示がすごい。
コスプレがすごい。
そして何よりライブがすごい。
「好き」という感情が多種多様な形で体現されており、それを提供する企業や個人も巧みにそれを体現しているのです。物販やフィギュアの展示だけではなく、イラストやVR技術、はてはギターなどの楽器(初音ミクとのコラボモデル)の展示・販売など、とにかく幅広いのです。そしてそれらがコンテンツとしてちゃんと合理性や整合性を有しており、雑な言い方をすれば「ものすごく噛み合っている」のです。

過去に一般アーティスト(例を挙げるとポルノグラフィティ)のライブに行ったことはありますが、マジカルミライはただのライブではなく、1つの文化圏の集合体とも呼ぶべきものでした。

初音ミクを構成する要素(歌声・ビジュアル・楽曲・製品としての背景、そこから発生するミームetc)のどれを好きでも、このマジカルミライに参加すれば満たされるような仕組みができているのです。これって実現しようとすると思想的派閥が自然発生してしまいがちなので意外と難しいことなのではないでしょうか。

無論ライブも素晴らしかったです。機械音声だと思っていた初音ミクは、確かに私の前で駆け回り、熱唱し、観客を魅了していました。もはや機械音声という表現では捉えきれず、明確に眼前に存在していたのです。初音ミクはリアルに存在していると感じさせられました。

ここでこのnoteのタイトルに戻ります。
自我を持たない初音ミクという歌手のファンとは何ぞや?という点です。

私の中で明確な結論が得られました。
初音ミクのファンとは、初音ミクという「文化」のファンということです。
ビジュアルが好きでも、楽曲が好きでも、二次創作や設定が好きでもそれらは「初音ミクという文化」に集約されるのです。だからこそ初音ミクのどの側面が好きでも許容され、それらが一堂に介していても違和感がなく、むしろシナジーがあるため盛り上がりも高まるのです。

今回のマジカルミライ参加によって強く感じたのは「ファンひとりひとりの中に、それぞれ異なる姿の初音ミクがいる」ということです。
自我も実体も持たないものだからこそどんな解釈も成立します。
同じ時間に同じ場所で初音ミクを見ても、受け取る側であるファンの中には微妙に違う姿・性格・バックグラウンドのミクがいます。文化として根底に共通の概念がありつつ、うまく枝分かれしているのです。

生身の人間では中々そうはいきません。生身の人間だと自我があり、それらはメディアやSNSでファンに届きます。そうなると自ずと「この人はこういう人」という朧げな像が形成されます。

どんな受け取り方も許され、かつ衰えを知らない「vocaloid」というアーティストの魅力に、私は十数年ぶりに酔いしれました。

マジカルミライに参加して約1週間が経ちました。
この数日、私はvocaloidを飢えたように聴き漁りすっかり熱が再燃しています。来年のマジカルミライも必ず参加しようと思います。

それと同時に、vocaloidの魅力を理解できる人間で幸せだと感じます。この先数十年経って私が老人ホームに入る時が来たとしても、初音ミク達は今と変わらぬ姿と声で歌ってくれるのですから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?