CASIO QV10 - 1998年生まれが1995年に販売されたデジカメを買った話

何かの授業でデジタルカメラ界の革命児的な存在として紹介されていた。何の授業だったのかは途中から全てのやる気を失ってしまったので全て忘れました。先生ごめんなさい。(休学中)

"テレビ付きカメラ"として1995年に売り出されたQV10は、モニターで撮影した写真をその場で確認出来るだけでなく、レンズが可動式になっていて、自撮りも出来る。すごい。私がすごいと言っているだけでなくちゃんと重要科学技術史資料として認定されているので本当にすごい。

別にカメラのコレクターだとか、写真を撮るのが趣味だとか、そういった人間ではないのだが、何となく"おもろそう"という理由で手に入れたくなった。先生が「レアだから売ってたら買うべき、高くないし」的なことを仰っていたのにも背中を押されたと思う。その日の授業が終わって、ヤフオクを開きQV10を検索してみると、まあ普通に出品されていますこと。(今はどうかわからん。)

確か1000円くらいで入札して、1週間以内に届いたと思う。何かツイートした記憶もある。せっかくなので、と手に取ってこのボタンは何だとか、何らかのケーブルさすとこあるとかあれこれ見物しているうちに、気が付いたことがあった。

電池入れるとこ開かねー。

ジャンク品かい。


と、ここまでが半年前のお話。
もう年末だし、何かに怯えながら何も出来ないまま時間を溶かしているのも忍びなくなって来て、のそのそと動き始めたのが功を成し、テレビは無いけど部屋に良い感じにマッチするからと置いてあるテレビボードの上、ごちゃごちゃと本やら何やらで忙しない中にQV10を発見。瞬時に株式会社電池を入れるところ無理矢理こじ開けるを設立し、電池を入れるところを無理矢理こじ開けることを決意しました。何となく活力のあるタイミングだったから出来たのかも。

電池を入れるところの蓋を開ける機構は、横にスライドすると内側の何かが作動して開く仕組みになっている模様。うちの個体は力をかけると横にスライド出来ずに内側に引っ込んでしまう。哀れ。紙とか挟んでとにかく横にスライド…横にスライド…。そうするうちに出来た若干の隙間にまち針をぶち込んだら簡単に開きました。QV10は単三電池が4本必要。(話によると単三電池4本で作動する時間は2時間らしい。)何故か単三電池が沢山あったので入れてみると、あの、何か電池入れるところのバネあるじゃん、あれ、あのバネの活きが良くて、その上蓋のストッパーも壊れていて何の仕事もしないので、閉まらん(笑)そこら辺に転がっていた養生テープを使って上手いこと閉じ込めました。

POWERボタンをスライド…。モニターが真っ青になった。ヒョエェ。デジタルネイティブ世代には恐ろしき青。少し待ってみると普通に起動した!!なんだよ!!良かった〜。

モニターには見事に私の足元が映し出されていた。うわー!!やったー!!と喜びも束の間、電池の蓋の閉めが甘いとすぐにPOWERが切れてしまう。力こそPOWERなので力づくで蓋を閉め、再起動。モニターのすぐ脇にはREC/PLAYのモード変換ボタンがあり、撮影モードと撮影した写真を見るモードを切り替えることができる。うわ〜これ、

これってもしかして前の所有者が撮った写真入ってんじゃないの!!!!!!!!!!!

大変なことに気が付いてしまいました。ただ写真撮れたらすごいよね〜くらいに思っていたのですが、そうだ、これは、紛れもなく、本体メモリに撮った写真が保存されるデジタルカメラ…。すっかりそのことが頭から抜けていた私は、なんかめっちゃエッチな写真とか入ってたらどうしよう…ネットに載せるべきではないよな…など謎の焦りを感じていました。 

恐る恐るPLAYモードにしてみると、あまり私には馴染みの無いような、スーツを着た人達が会議をしている様子が映し出されていました。

操作して他の写真を見ていると、何やら開発をしていそうな様子。私は映像関係の学部に所属しているのですが、ソフト開発の歴史とこれから…みたいな技術史的なことを学んだりします。まさにその現場みたいな写真が保存されていました。コンピュータと人々…。数十年の歴史は想像よりも長いものです。見進めていくと、「㊗️ネットいばらき NOC開設式」の写真が。調べてみると、ネットいばらきは茨城県高度情報化推進協議会が運営するインターネットプロバイダで平成14年(2002年)9月に廃止されたとのこと。ものすごく前の出来事ではないけれど、私が物心つく前の出来事が記されていたのかと思うと、とても感慨深いものがあります。

カメラに限らず、中古品の持つ「前の所有者の軌跡」的なものが垣間見えたりすることはありませんか?私も古本をよく買ったりはするんですが、ここまで前の所有者による意識的な記録が残っていることはなかったので今回この文を認めた次第です。

メモリーカードやネット上のクラウドなど、その物以外にデータを保存する術が沢山ある現代において、"物"事態に記憶させておくということは、もしかしたら減ってきているのかもしれません。特にデジタル化が進む私たちの暮らす現代では個別のアカウント管理で、データの所有権が移るなんてこともあまり無いと思います。古本の書き込みのようなものではなく、デジタルデータが他の人の手に渡る、という経験は、もしかしたら貴重なものなのかもしれない、とQV10をいじってみて感じました。

それだけ。

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