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まだ見ぬ音楽へ 創造・交流・発信拠点としての「外」

独自の音楽性を持ちながら、演劇、映画、ダンスなどジャンルの垣根を越えたコラボレーションをはじめ、多岐に渡り活動しているスリーピースバンド・空間現代。2016年、拠点を東京から京都に移し、左京区に自ら運営するスタジオ/ライブハウス「外」をオープン。メンバーの野口順哉さん(guitar / vocal)、古谷野慶輔 さん(bass)、山田英晶さん(drums)に、空間現代の活動とともに、京都に「外」というスペースを持つことの意義について、お話を伺いました。

cover photo by Mayumi Hosokura

「空間現代」の結成まで

――まずバンド結成の経緯を教えてください。
野口:僕が大学在学中に、ふと「バンドを組みたい」と思い立ったんです。
古谷野:野口さんは留年していたので暇だったんですよ。
野口:そう留年して暇になってしまって(笑)。それでまず中高が同じで、音楽の趣味が合った古谷野を誘って。
古谷野:たまたま大学も同じだったというのもあって。
――たまたまだったんですね。
野口:はい。それでバンドやろうぜと(笑)。じゃやりますか!みたいな。
――なるほど(笑)。
古谷野:ベースを野口さんの友達から借りて(笑)。それでスタジオに入って。
――もともとベースのご経験があったわけではないんですね。
古谷野:やってないですね。野口さんがギターで、最初に2人でギターとベースでスタジオに入ったんですが、やっぱりドラムがいないと面白くない。
野口:盛り上がらない。
古谷野:知り合いとか友達とかにドラムを叩ける人はいたんですけど、なんか違うなという感じがあって。それで山田にドラムやらないかと。
山田:僕だけ大学が別なんですが、小中高と一緒で。ドラムはまったくやったことがなかったけど、やりますと。それで始まった。
――まったくの初心者の状態から始めたんですね。
古谷野:そうですね。
野口:そのときは若気の至りもあって。パンクバンドをやりたかったんです。これは黒歴史だけど(笑)。
古谷野:パンクってそういう、初心者でも、初期衝動的な。
野口:なので、山田もドラムを叩いたことがなくても、古谷野もベースを弾いたことがなくても、オッケーでしょ!みたいな。そういう勢いで3人で集まってやってみて。それでなんか面白いねみたいな感じで始まった感じですね。そこからはいわゆる普通のバンドマンの感じですね。
古谷野:ライブハウスって昼間にオーディションがあって、そのライブハウスのブッキングの人にああだこうだ言われながら、ノルマとかも払って出るみたいな。
山田:それを続けてましたね。ライブハウスからこの日どう?と誘われて、出ます、みたいな。有象無象が集まって、2,000円のチケット代何枚分かのノルマを払って、ライブハウスに出る。というのを何年か続けていました。

――そこから今の形になるまでには。

野口:2年かかったかな。最初の2年はある意味でオーソドックスなバンドサウンドという感じの曲を作って、毎月1回は都内のライブハウスに呼ばれて出ていました。ライブハウスの普通のブッキングのイベントって、5組ぐらい出て、対バンの音楽を聴くわけですけど、だんだん食傷気味になってきて。自分たちはもうちょっと違う感じでできないもんかなあとちょっと悩んでいたときがあって、その頃、批評家の佐々木敦*さんの授業をたまたま受けて、それがいろいろヘンテコな音楽を聴くきっかけになったんですね。それまで電子音楽やアバンギャルドな音楽はあまり聴いていなかったので、そこでちょっとずつ「面白い音楽ってまだまだあるんだ、こんなに自分の知らない世界があるんだ」と思って。それからいろいろな音楽を聴くようになって裾野が広がっていって、それをバンドメンバーでも共有して。なんとなく足並み揃っていろいろな音楽を聴くようになっていった時期でした。

古谷野:所謂ロックバンドなことが僕らにはできないなというのは、なんとなく2年ぐらいやるとわかってくるというか、たぶんそういう方面の才能はないなというのもあって。どうする?となったときに佐々木さんに出会って、「このCD音飛びしてるけど…」みたいなものが何か面白くて。あと、DJとかクラブミュージック。バンドでやってないことをバンドでやることが面白いのではないかと感じていた時期がありました。最初はやっぱり「音飛び」みたいなものが結構大きかったような気がしますね。

野口:リズムがパッとつんのめる感じで、ある種の違和感のある、分断された感じ、切断された感じ、針が飛ぶ感じというのをバンドでやれないものかと。あるフレーズを作ったあと、そのフレーズの途中で頭に戻るというのを3人でやってみたことがあって、そしたらそれが結構面白くて。
古谷野:ひたすらそういうことばかり研究していた時期がありました。
野口:それまでの普通のオーソドックスな音楽を作るということからは生まれなかった、まったく別の角度からの発想だったんですよね。バンドサウンド以外の変な音楽も聴くようになったからこその発想です。音飛びにチャレンジしてみたり、いっしょに弾いてはいるけど、まったく別の曲のようなフレーズを同時にやってみたり。レイヤーが二つになる感覚。今まで一つだったものが二つになったりする。それが面白くて、そういう曲も作ってみたりした。そういうことをいろいろやっていた時期あたりから、今のような音楽性に近づき始めました。それが結成して2年目ぐらいのときですね。それがファーストアルバムに収められている。
古谷野:その頃に佐々木さんがライブを観に来てくれて。「これはひょっとするとひょっとするよ?」「HEADZ*からなんか出そうよ」みたいに言ってくれて(笑)。
野口:そうそう。ライブを観て盛り上がってくれて。

――私も空間現代の音楽を初めて聴いたときにかなり衝撃を受けて、レイヤーが二つというのも今お話を聴いてまさにその通りだと思いましたし、3人でやっているけど誰か一人に偏っていないな、と。

野口:そうですね。やっぱりライブハウスで他のバンドを見ていると、たとえば、盛り上げたいときには、ボーカルのこれ(拳を突き上げる)に合わせて盛り上がる、ジャーンで終わるときも、皆で合わせてジャーンみたいな。ひとつになっているというか。僕らがそういう同じことをやってもつまらないなと思って。途中でドラムが全然違うことをやりだした方が面白いんじゃないかなと。ライブハウスでいろいろ音楽を観て、逆にこういうことをやったら面白いんじゃないかという発想が生まれたんだと思います。

古谷野:音楽がどんどん民主的になっていったというのもあって、自分が考えていることを共感させたいみたいな感じで作ることに、かなりいき詰まってしまった。別にそんなものはない、みたいな(笑)。じゃあどうしようか、ということは結構あったかな。オーディエンスに共感させるような自分の感情とか物語とか、そういうことではなくて、3人がいて、その関係性があるということ、というか。
野口:そうだね。いわゆるオーソドックスなバンドサウンドは、ある種、感情移入とか自己投影とか、そういった現象ありきで、その曲・メロディに陶酔できるみたいな感じだから。
古谷野:そういうことをできる人もたくさんいると思うんですが。でも僕らはそういう方面でやれないし、やりたいと思わなくて。
野口:自己投影や感情移入とはまったく別の次元で、音、音楽として、こんなに面白いことができるんだということに興味がある。そのころから、作曲者がいて、その伴奏を考えるという作り方を一切捨てることにしました。とにかく3人で何か面白い出来事が作れないものか?とトライアンドエラーしていくチームになったということです。
古谷野:即興で曲を作るのは絶対なし!みたいな(笑)。そうやって感情的に曲を作るのはなし。今はまたちょっと違ってきていますが。ルールを守った上で音を出して曲を作るとか、リズムを上位に置いて曲を作るとか。

*佐々木敦:批評家、HEADZ主宰。1964年愛知県生まれ。元早稲田大学客員教授。音楽、演劇、文学、映画など、諸ジャンルにおいて活動。著作に『即興の解体/懐胎 演奏と演劇のアポリア』(青土社、2011年)、『ニッポンの音楽』(講談社現代新書、2014年)など。
*HEADZ:佐々木が主宰するレーベル。音楽だけでなく雑誌編集や演劇公演の企画・制作など多岐に渡る活動を展開。

空間現代 Kukangendai
 野口 順哉 Junya Noguchi
 古谷野 慶輔 Keisuke Koyano
 山田 英晶 Hideaki Yamada


インタビュー・構成:鈴木 奈々
本記事は立命館大学映像学部川村ゼミ編集「関西×アート 芸術文化を支える人たち Vol.10」(2019年発行)に掲載されたものを一部修正したものです。


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