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いまさら自分の ”家紋” について知った。

いままで気にすることはなかった家紋。
これからもあまり気にすることはないと思う家紋。

それもまた、家紋である。

とあることがきっかけで自分の家紋について知った。

調べてみると…
源義朝、源平の合戦、織田信長がでてきたり、
滋賀県近江八幡市にある神社が出てきた。


家紋を知るきっかけ

たまたま母親と話をしていて産着の話になって写真が送られてきた。
鷹がいて、かっこいいやつだ。

これは自分が子供のときに着せたものらしく、
今度はこれを着せてあげることになる。

母親はとても嬉しそうに話をしていた。

産着


最近のはわからないが、産着にはよく家紋を入れることが多いらしい。

この産着にも家紋があるか聞いてみたところ、キーホルダーの写真が送られてきた。自分の年齢から数えてもたぶんこのキーホルダーは30年以上前のものなのだろう。


私の家紋

それっぽい感じの紋様があり、気になるのは以下3つだ。

  • 四つある四角

  • 沙沙貴神社

  • 佐佐木源氏

キーホルダー

紋様

wikipediaに載っていた。
紋様は平四つ目と言うらしい。

目結紋(めゆいもん)は、染め模様の鹿の子絞りの文様を図案化した家紋である。目結紋は、宇多源氏佐々木氏族など近江源氏の使用が知られ、『寛政重修諸家譜』では目結紋を使用する幕臣百十数氏の内77家が佐々木氏族を称していた[1]。

佐々木哲は、現在の沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の神紋が平四つ目であるのは、1843年(天保14年)丸亀藩主京極家によって再建されたときに、京極家の「平四つ目」にかえられたとしている。

Wikipedia

高校は地理を専攻していたので世界史、日本史は苦手であるが、なんだか歴史ある紋様なのがわかった。

そして
佐々木氏(武家)であった。
武家がなにかいまいちわかっていないがカッコよさそう肩書きだ。

ここで「沙沙貴神社」につながる。


沙沙貴神社と佐佐木源氏

沙沙貴神社という神社が実在していた。
佐々木源氏ゆかりの神社のようだ。

【宇多源氏・佐佐木源氏とは、鎌倉時代初めに活躍した佐々木定綱以来、 織田信長によって追われるまでの約四百年間、守護として近江國を支配し続けた一族です。】
佐々木氏は、宇多(うだ)天皇(869〜931)の皇子、 敦実(あつみ)親王(892〜966)の玄孫(やしゃご)である、 源成頼(みなもと なりより)が近江國・佐々木庄に下り、
成頼の孫の、経方(つねかた)が佐々木姓を名乗ったことに始まります。
佐々木氏は、佐々木氏の氏神である沙沙貴(ささき)神社が建つ、近江八幡市安土町常楽寺周辺から、佐々木氏の館(やかた)があった小脇(現在の東近江市小脇町)辺りまで広範な候補地がありますが定かではありません。ただ、蒲生郡内であったことは間違いないようです。
  佐々木氏が近江に確固たる基盤を得るきっかけとなったのは源平の合戦でした。
  経方の孫の秀義(ひでよし)(〜1184)は、平治の乱(平治元年1159)で、源義朝(みなもと よしとも)に敗れたため近江を追われ、相模國(現在の神奈川県)まで逃れます。

http://sasakijinja.or.jp/

織田信長、源義朝、そうそうたるメンバーの名前が出てくる。
なんだかすごそうな歴史だ。

たぶんここは ”佐々木” のゆかりの地なのだろう、
この神社はいつか行こうと思う。

歴史は面白い!と久しぶりに思った。

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