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12月8日。ジョン・レノンについての備忘録。

僕が勤めていた出版社の斜め向かいには、ジョン・レノンとヨーコ夫妻がたびたびやって来ていたという喫茶店があります。
店名や住所を明らかにしてしまうと、探す楽しみが無くなってしまうので遠慮しておきますが、最寄り駅が東銀座、歌舞伎座の裏手、という説明だけで、すぐにわかってしまいますね。
彼らがこの店に現れると、いつも同じテーブルに着き、ジョンはたいていコーヒーとアーモンドクッキーを注文したとのこと。イギリス人なのに紅茶じゃないんですね。特にこのクッキーがお気に入りだったようで、たまにテイクアウトもしていたそうです。もちろん今でもこの喫茶店は健在。空いていれば、誰でもその席に座ることができます。

僕はこの店には打ち合わせで入ることが多く、いつもドタバタしていて、ゆっくりとジョン・レノンを偲ぶことはできませんでした。たまにアーモンドクッキーを頼もうにも、たいてい売り切れていたし。

今日12月8日はジョン・レノンの命日。とは言っても、撃たれたのはニューヨーク時間の夜22時50分とのことなので、日本時間の12月9日、お昼の少し前ということになります。

記録映画『Get Back』を観ていると、知らなかったことばかり。

僕は、いわゆる”ビートルズ世代”からは少し遅れています。とは言え耳にタコができるほど、ギターのリフの細かいところまで口でできるほど(弾けないのが残念)聞きこんでいるし、今さら彼らについて新たな情報など出てこないものだと思っていました。
ところが去年の11月、合計8時間以上に及ぶ記録映画『Get Back』を観て、もう驚いたのなんの。ネット配信なので、今でも少しずつ観ています。
何よりうれしいことは、彼らの曲作りのようすがよくわかること。活字による情報で伝わってこないことは、ビートルズのメンバーでいるって大変だということ。その割に、周りのスタッフたちがいい加減だということ。それでも彼らはプロの演奏者として、たった一ヶ月でアルバム2枚分の新曲を仕上げ、そのようすをフィルムに収めながら、できあがった新曲はライブでお披露目する、という無茶な仕事を引き受けます。淡々と曲を作り、今ではすっかりおなじみとなった曲の数々が、たった一ヶ月で完璧なものに仕上がるようすを、ただただ呆然と眺めてしまいました。
観たことのある人も多いだろうけど、このフィルムの予告を貼っておきます。

ジョン・レノンって、思いのほか真面目なのだ。

このフィルムを観ながら、これまで勝手に思い描いていたメンバーのイメージが変わりました。ここではジョン・レノンに絞って、再発見した点を箇条書きでメモしておきたいと思います。

● 解散の原因はジョン・レノンとポール・マッカートニーの対立、というような、単純な話ではなかったようですね。ジョン・レノンには、どこかちゃらんぽらんなイメージがあったけれど、それはまったくの誤解でした。実はバンドの存続のために、真剣にマネージャーを探していたことがたびたび語られています。
1967年に敏腕マネージャーのブライアン・エプスタインが急死。以来、糸の切れた凧のような状態だったビートルズを建て直すために探していたとしたら、ジョンは解散など望んでいなかったことがわかる。あるいは、独立後の自分のマネージャー探し? いや、話の筋からは、そんな感じには見えませんでした。

● ある日、ポールがジョンをつかまえて、「ちょっと新しい曲を作ってみたんだけど」と言う。タイトルは仮に『Mother Mary』と名付けた、と。
それを聴いたジョンは、開口一番「これは凄い曲になるぞ」と興奮する。「ゴスペルにするといいだろうな。エルビスにもそんな曲があったな…」と、さっそくアイデアも生まれる。ポールがわがままなメンバーを引っ張って行く母親のような存在であるならば、ジョンは、要所要所でこういうアイデアを出して、メンバーをまとめて行く存在だったのかもしれない。
やがてこの曲は『Let it Be』と命名されます。しかし最初にポールから聞かされたときは、まったく違うメロディの曲でした。そのメロディの中に、あれほどの名曲に化ける可能性を見いだすジョン・レノンは、やはり曲作りの天才なのでしょう。

● このフィルムの中では、とても気に入っているシーンをひとつ。
集合時間よりも早めに着いたリンゴ・スターが、間もなく現れたジョージ・ハリスンに、「オレも新曲を書いてきたぜ」という。さっそく聴いたジョージは、「何なんだ、この曲は。曲になっていないじゃん」と笑う。「いいかい。曲というものはだね、このメロディの繰り返しの後に違うメロディが入ってこないと落ち着かないんだよ」という作曲講座になり、最終的に『オクトパス・ガーデン』のサビをジョージが仕上げる。
その後、「曲が長くなっちゃうと、歌詞を足さなきゃいけないな」などとやり取りをしているところにジョンが現れ、二人の会話を聞いている。で、「オレにも何かやることは無いかな?」とジョン。「だったらドラムが空いてるから叩いてくれ」と、リンゴ。言われるままに、ジョンはドラムを叩き始める。なぁんだ。ビートルズ、仲いいじゃありませんか。

● 彼らの曲作りを見ていると、完全にメロディ優先の「曲先」なんですね。で、歌詞は語呂の良い、メロディの邪魔をしない言葉を後から選ぶ方式。だから単なる語呂合わせというか、言葉遊びのように歌詞が決まって行く。
僕がビートルズを聴き始めた中学生の頃、歌詞が難解なので、いったいどう理解したらいいものか、たびたび英語の先生に質問に行っていました。先生もかなり悩んでいましたっけ。おかげで英語の成績は少し良くなったものの、あの努力はまったく無駄だったようです。あの頃にとても深遠に思えた歌詞は、実は単なる言葉遊びに過ぎなかったわけだから。

ここで少し気が変わりました。店の名前も教えてあげよう。

やはり、ビートルズは4人揃ってこそナンボのもの。

ビートルズの曲作りというと、アナログでできる技術を限界まで駆使してレコーディングするイメージがあったのだけど、違うんですね。あくまでも一発録りが基本のライブバンドだったわけです。だからこそ、何度も何度も同じ曲を繰り返し録音する。そのうちにいろいろなアイデアが盛り込まれ、今ではおなじみとなった曲に仕上がって行く。ものすごいエネルギーです。

そして改めて、この4人の演奏(この時にはキーボードのビリー・プレストンが加わって5人になっていますが)はいい。うまい、と言うよりも、タイトなロックンロールバンドっぷりが潔いし心地良い。
最後のルーフトップコンサートの途中、離れたビルの屋上から眺めていたファンが「ロックンロール!」と叫ぶ。それを聞いたポール・マッカートニーが「オマエもな!」と返す。こんな生きたやり取りこそが、無名時代からライブを繰り返してきた、ビートルズの本質なのだと思う。

解散して以降、それぞれのメンバーはソロ活動により、以前と同じくらいの名曲を生み出していった。今ではジョンの代表曲は『イマジン』であり、そのことに異論はないのだけど、でもやっぱり僕はビートルズにいた頃の、ただのロックンローラーに過ぎないジョン・レノンが好きです。
特に好きな曲は何だろう? やはり『A Day in the Life』かな。あるいは『ストロベリーフィールズ…』か。
ビートルズのオフィシャルサイトに、こんなリミックス版があったので、最後に貼っておきましょう。《シルク・ドゥ・ソレイユのミュージカル『LOVE』のサウンドトラックとして制作された作品で、ビートルズの楽曲のマスターテープやデモ・テープを使用して、コラージュやリミックスを施した音源が収録された》とのこと。発売は2006年。ぜひぜひ最後まで聴いてみてください。

正面から撮ると自分が写り込んでしまうので、斜めから。


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