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たぶん無理。インド日記_01

なぜか突然歌詞を書いてほしいと依頼され、可能か否か、ほんのちょっとだけ考えたが「たぶん無理やろ」と答えた。だって「そして僕は途方に暮れる」とか「物語は?ちと不安定」などのキラーワード、私には書けそうもない。真面目な顔でそう言うと、さおちゃんに笑い飛ばされて我に返った。どこの高みを目指してんのってな話である。

そもそも年内にインドに行くのも「たぶん無理」だと思っていた。否、99パーセント無理や。長い休みも買い付けの資金もない。しかしながら、2023年8月20日から26日まで私たちはインドのニューデリーにいた。初インドにして一週間の弾丸旅だった。

京都の左京区、出町柳にある古い洋館アパートの一室で旅で見つけた手仕事を扱う小さな店のようなものをやっている。ドアが開くのは調子が良くて1か月に1回。旅の本 「Snip!」を作るため、資金欲しさに始めた。取材という名の費用対効果の悪い旅に出て、買い付けをしてくる。そして小部屋のドアを開ける。1冊目はミャンマー少数民族の村へ。2冊目は喉をひらく茶を探しに、中国雲南省の茶馬古道をたどった。

中国雲南省の僻地・雨崩村に行ったとき、そこに暮らす人々の強い結束力を見た。人を寄せ付けない連山・梅里雪山の麓で暮らす人々(未だ誰にも登られていない、中国雲南省とチベット自治区の境界にある、6000メートル級の連山だ)。厳しい自然のもとで少数民族が暮らすには、結束する必要がある。自分の利だけを優先するような生き方をしていては、皆が生き残れないから。

村人は皆、穏やかだった。大きな声を出し、我を主張するような人は皆無だった。家族や村人、目の前にいる人にやさしく、家事も男女関係なくせっせと働いていた。つまりは自己表現のためなどではなく、生きるために働いていた。いざというとき周りの人が必ず助けてくれる、という確信がある日常。能力のある・なし関係なしに、役に立つか否か関係なしに、存在そのものを受け止めてくれる人々がいる暮らし。

旅に出て、私が見たいと思っているのはおそらくその瞬間である。存在そのものを受け止めてくれる瞬間。私がどこの国に暮らす誰であろうが、目の前の人にただやさしくしてくれる人たち。笑いやユーモアを惜しげもなく分け与えてくれる人たち。初対面なのに家に上げてくれて、いっしょにお茶を飲んで、またいつでもおいでと言われるだけで泣けてくる。なんでそんなふうに差し出すことができるのだろう。

初インドだと言うと、いろんな人から「絶対騙されるで」とずいぶん脅された。結果的にそんなアドバイスは要らなかった。それよりも騙されている瞬間ですら、目を凝らして見て来いよ、と言ってくれたほうがよっぽどマシだった。混沌とした街は雑多で薄汚れているけれど、原色に溢れている。オートキリシャで街を走っていると、色が流れてゆく。私はその色を目で追いながら、自分もひとつの色になったような気がしている。地味な色だよな。でもさ、街の一部となり、混じればそれはそれでいい味を出しているような気もする。それは一瞬で忘れ去られるような色だ。多くの命がそうであるように。

失敗しない旅、損をしない旅については書けそうもない。観光地にも行ってない。しかしながら、とくに誰の役にも立たない紀行があってもいいのではないか。はじめてのインド旅について、日記を読み返しながら書いてみようと思う。


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