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これだよ。パハールガンジの朝食は。インド日記_03

生涯でベスト5に入る小汚い宿にタクシーを呼んでパハールガンジに向かった。パハールガンジ(メインバザール)とはニューデリー駅前にある宿街。安宿から中級ホテルが密集しているエリアだ。タクシーが宿を出発すると、窓からの景色には色が溢れていた。この辺りは下町のようで、道路のど真ん中を牛が横切り、オートリクシャーには学校に向かう子どもたちが乗っている。チャイを淹れる屋台や朝ごはんを食べる人で混み合うスタンド、花を売る女の人、インドの生活にはすべてに濃密な色がついていて、それをゆっくりとかき混ぜているようだ。クラクションを鳴らしてどうにかして車体を割り込ませて先に進むような強引なやり口。しかしながらこれで事故らない奇跡的な調和。デリーでなんか一生運転できない、と断言できる。スピードを出すときはガツンと出すが、ブレーキを踏む瞬時の判断と車体を操る感覚には抜けがあり、なーんかセンスのある運転なのだ。その身体能力と鋭い眼光に惚れ惚れする。

新たな宿はアラカシャンロード(Arakashan Rd)にあった。パハールガンジのなかでも北の外れにあり、夜も比較的静かだ。ホテルの前の道が混まないのでオートリキシャが宿の前までちゃんと送り届けてくれるところも良かった。メインバザールのど真ん中に入って渋滞に巻き込まれるのが嫌だという運転手も多いから。

昨晩は到着したのが遅かったし、どうかしてる宿だったから、思考能力が低下するほどに疲れ果てていた。宿はめっちゃいいというわけではないが、必要なものは全部揃っていた。つまりこうだ。部屋の清掃が行き届いていて、お湯が出て、まともなベッドで、スタッフが放置してくれて、エレベーターがあり、ポットとドライヤーがある。タオルは使い倒されていたが、フロントに電話したらすぐに新しいものを持ってきてくれる。これで一部屋2500円ほどである。そうやねん。これで充分やねん、とさおちゃんが言う。私もそう思う。その名はホテルクリシュナ。クチコミも上々である。

近所をぶらぶら歩いてみると、さおちゃんも私も目が釘付けになる店があった。それはアジャンタホテルに併設された喫茶室だ。白い瀟洒な建物にガラス張りで「ここはエアコンきいてまっせ」と言わんばかりの外観。欧米人やインド人の家族が優雅に朝ごはんを食べている。どうやらビュッフェスタイルらしい。「ここにしようや」と言うと同時にドアを押したら「好きな席へどうぞ」とバリスタらしき男性にじつにスマートに通された。ああ、本物のコーヒーの香りがする。死んだ豆をお湯でザッと濾したような出鱈目なやつではない。ポットから立つ湯気とともに湯は注がれ、ふっくらとその旨みはひらく。あっさりとしたミルクと調和して、喉に落ちる。二人とも言葉が出てこない。ただモーレツに、それは身体に沁みわたる。

料理もじつに美味しかった。チャナマサラ(豆のカレー)、プーリー(揚げパン)、炒りパニールなど種類はそんなに多くないが、味付けが淡白であっさりとしていてコーヒーの風味を損なわない。何より食べ飽きないというのがいちばんのポイントだ。これからのインドのストリートフードで、それがいかに貴重かを知ることになる。味付けが濃くて辛い。油を吸う小麦がずっしりと重い。これが揃うだけで多くの日本人の胃は壊れて、急速に食欲を失っていくのだ。

だからこの喫茶室は私たちの逃げ場となった。手を挙げて合図をすればコーヒーのお代わりもすぐに持ってきてくれる。ほどよい空調のなかで、いい感じに買い付けができそうな場所はないかを調べた(明らかな準備不足と言える)。インドくんだりまで来て手ぶらで帰るわけにはいかない。なんせ5泊しかないのである。ゾッとするが、まだこの美味しいコーヒーで逃避していたい。私たちは意を決してお代わりを断り、勘定をしてクソ暑い外へ出た。ムワッとした熱気と埃が目の前に立ち込める。ああ、楽園終了。

オートリクシャーの親父とバチっと目が合う。「どこ行くねん、乗れや」と彼は言う。わからない。とにかくいい感じに買い付けできそうな場所へ頼む。そう言いたかったが、もちろんそういうわけにはいかない。乗り込んで「オールドデリー」と言うと同時に、車はもうすでにスピードを上げていた。舗装されていない道だし、体がスピードに置いて行かれて空中でつんのめる。5泊しかない。限られた時間でやるしかないのだ。


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